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文学フリマ札幌に出店します

いつも、当ブログをご覧いただき誠に有難うございます。


さて、令和4年(2022)10月2日(日)

札幌コンベンションセンター 大ホール

(札幌市白石区東札幌6条1丁目)

12時〜16時 にて開催されます『文学フリマ札幌』に出店致します。



新刊は北海道・月形町にかつて在った月形炭鉱をテーマにした『月形炭鉱 興亡十六年史』(定価700円)を持参します。



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また、既刊として

『積丹町浜婦美 今昔資料集』 700円

『拓魂-北海道・戦後開拓集落探訪記-』 1000円

『ルルモッぺ-へき地の暮らしと学び舎の記憶-』1000円


委託で

『観光を支えた索道をめぐる物語 蒲郡・富津・秩父』 700円

を持参します。


場所ですが『お-16』になります。
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どうぞ宜しくお願い申し上げます。


尚、筆者の近況ですが今春、痔ろうにより2度の入院・手術。
そして7月下旬に新型コロナウィルスに感染しました。
幸い重症化することなく回復し、復帰致しました。
健康の有難みを感じながら過ごしております。

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北海道COMTIA15に出店します

何時も当ブログをご覧いただき有難うございます。

さて、令和4年(2022年)6月5日(日)11:00~15:00の間
札幌コンベンションセンター1階大ホール
(札幌市白石区東札幌6条1丁目 地下鉄東西線東札幌駅 徒歩8分)にて開催される
同人誌即売会 北海道COMTIA15 にサークルとして出店します。


積丹町の漁村集落・浜婦美にスポットを当てた
『積丹町浜婦美 今昔資料集』 B5サイズ カラー印刷 27ページ 定価700円
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積丹町浜婦美集落の現状、過去の新聞報道記事、歴代校長&教職員氏名などを掲載。
大正3年(1914)に起きた山火事により浜婦美一帯が焼け、校長父子が火傷を負った出来事を掲載しました。

北海道内の戦後開拓集落をテーマにした
『拓魂‐北海道・戦後開拓集落探訪記‐』 B5サイズ カラー印刷 76ページ 定価1000円
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新得町富村牛&足寄町茂喜登牛、江別市新野幌&世田ヶ谷、小平町下記念別、神恵内村清川、遠軽町弥生、士別市湖南&大英、大樹町光地園、今金町美利河別、滝上町拓雄を取り上げました。
各集落や学校の現状、歴代校長・教職員氏名・児童&生徒数、新聞報道記事を掲載。
拓雄については集落の聞き取りや入植&離農の推移、開拓入植当時の家屋間とり図などを掲載しました。
この2種類が新刊となります。

既刊本として
『精進川鉱山盛衰記』B5サイズ 23ページ カラー印刷 定価700円
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『ルルモッペ-へき地の暮らしと学び舎の記憶-』B5サイズ 70ページ カラー印刷1000円
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廃墟写真集『負の大地』横開きA5サイズ カラー印刷 73ページ 定価1000円
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『上雄柏・学校跡整備と花壇に込めた想い』B5サイズ カラー印刷 23ページ 定価500円
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既刊本4種・新刊2種、計6種類持参します。
場所ですが、L 19 になります。
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赤枠で囲った場所になります。
新型コロナウィルスの蔓延によりどうなるか分かりませんが、無事に開催できることを願っております。
最後に私の近況ですが、今年の3月中旬に痔ろうを発症し2度にわたって入院・手術を行ないました。
幸いにして、手術後の経過は順調に回復してきております。
春の廃校廃村探訪はできませんでしたが、少しずつ再開させたいと思っています。
それでは、北海道コミティアでお会いできることを楽しみにしております。

新得町福山

新得町福山(令和3年8月探訪)

新得町福山は農村集落であるが、元々は「トンネル沢」と称されていた。
「トンネル沢」は狩勝トンネル工事現場に出稼ぎで通ったことからつけられたものと思われるが、大正6年、同地に福島県人、山形県人が多かったことから両県名より一字ずつとって「福山」と改称した。
明治39年、山形県人梅本伊之助ら数戸の入地が始まり、翌年には24,5戸に達したが児童数が少なかったことから教育所設置の認可に至らなかった。
しかし明治41年、福島県相馬団体10数戸が入植し、佐藤寿・古川金次郎らが代表として教授場設置を懇願したところ、特別教授場設置の認可を得ることができた。
 このため、住民らは開設位置を字新得西6線98番地公共用地内と定め、校舎はすべて地域住民の奉仕により完成した。
 学校の沿革は以下の通りである。

明治41年 新得尋常小学校隧道澤特別教授場として開校(6月)
大正 3年 隧道澤教育所に昇格
      山火事により校舎焼失・澱粉工場1棟を借りて仮校舎とする(5月)
      校舎新築移転(西6線89番地・12月)
大正5年  福山教育所と改称(12月)
大正6年  福山尋常小学校と改称(4月)
大正7年  福山実業補習学校併置(5月)
昭和8年  福山青年学校併置(4月)
昭和16年 福山国民学校と改称(4月)
昭和22年 福山小学校と改称(4月)
昭和24年 校舎新築移転(西6線91番地・11月)
昭和32年 屋内体育館竣工(12月)
昭和41年 閉校(3月)

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令和3年8月、A.D.1600氏、K.T氏とともに訪れた。
福山小学校前の風景
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学校跡地に建立されている記念碑。
碑文には学校の沿革が刻まれている。

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学校跡裏には飼料タンクとD型倉庫が建っている。

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学校跡周辺を訪ねると新しい建物が建っていたが、使われている気配は感じられなかった。

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建物前に建立されている乳牛の記念碑。

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建物関係は狩勝牧場のものであることがわかった。
狩勝牧場は平成30年3月に閉鎖された。


参考文献
新得町史編さん専門委員会1972『新得町七十年史』新得町
地域戦略室広報公聴係2018『広報しんとくNo.736』新得町

テーマ : 廃墟系
ジャンル : 写真

月形町中野

月形町中野(平成30年5月・令和4年1月探訪)

月形町中野は農村集落である。
明治27年、月形監獄は残余の土地を村に払い下げようとしたが村は用地所得の必要はないとのことで、監獄の御用商人であった中野要吉は内山寅之助に相談したところ、内山の出身地である新潟県に帰って小作人を募集した結果、17家族が入植し「中野農場」が発足した。
明治33年、再び監獄用地払い下げ入札の折、払下げの希望を出していた常世此治が落札し、7家族が入植し「常世農場」が発足した。
さらに明治43年、山林地帯約300町歩を田村外蔵が購入し、小作人をいれたのが「田村農場」の始まりである。このほか、仙台団体の入植者が現れ、次第に開拓されていった。
学校の沿革は以下の通りである。
明治35年 中野教育所として開校(私立・1月)
明治36年 中野農場簡易教育所と改称(9月)
明治41年 中野農場教育所と改称(5月)
大正 6年 中野農場尋常小学校と改称(1月)
昭和 6年 中野尋常小学校と改称(1月)
昭和13年 女子青年学校開校(11月)
昭和16年 中野国民学校と改称(4月)
昭和22年 中野小学校と改称(4月)
昭和49年 閉校(3月)

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令和4年1月、HEYANEKO氏、A.D.1600氏と訪れた。
学校跡地は雪に埋もれていた。

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2メートル近い雪壁をよじ登りながら学校跡へ到達する。

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神社跡へ足を運ぶ。

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新雪を踏みしめながら先へ進む。

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神社へ通じていた吊り橋跡。

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神社跡地。

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神社跡地に建立されている開拓記念碑。

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開拓記念碑を雪から掘り起こした。

ここから先は平成30年5月に探訪した時のものである。
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サクラが咲き始めた中野小学校跡地。

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中野小学校跡の基礎。

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瓦礫と化した校門があった。

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神社へ通じていた吊り橋の基礎。

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吊り橋のワイヤーロープ。

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神社跡地。
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神社跡地に建立されている開拓記念碑。

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碑文
明治二十七年
中野要吉氏中野農場を開き伊夜日子の神を祀る
明治三十二年
常世此治氏常世農場を開き天照大神祀る
明治四十三年
田村外造氏田村農場を開く是に仙台団体当別
入植正一位伏見稲荷を祀る
昭和五十三年九月九日 発起人一同 建之

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屋敷跡。

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屋敷跡。

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中野小学校はサクラに彩られていた。


参考文献
月形町史編さん委員会1985『月形町史』月形町

芽室町西伏美

芽室町西伏美(令和3年8月探訪)

芽室町西伏美は農村集落である。
大正時代、西伏美の奥地開拓が進み入植者の子弟は上美生小学校へ通学していたが、整備されていない山道を7,8キロ通学するのは容易でなく、早朝に自宅を出ても到着は昼近くなり、途中で学校をあきらめて遊んで帰るなどにより登校日数不足の為留年せざるを得ない者も出た。
このような状況の中、初代西伏美区長川端清太郎らが分教場の設置に努力し、伏美23線69番地の高橋尋助宅を仮校舎として開校したのが始まりである。
学校の沿革は以下の通りである。

昭和2 年  上美生尋常小学校伏美特別教授場として開校(4月)
同年    校舎新築移転(伏美24線72番地)( 11月)
昭和16年 上美生国民学校伏美分教場と変更(4月)
昭和22年 上美生小学校伏美分校と変更(4月)
昭和42年 閉校(3月)
昭和58年 本校 上美生小学校閉校(3月)

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令和3年8月、K.T氏、A.D.1600氏と訪れた。
上美生の市街地を抜け、山間部へ入っていく。

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道はこの先も続いているが、学校跡地はこの付近である。

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電柱の表記は「西伏見」である。

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学校跡地付近を歩くが、校舎の基礎は見つからなかった。

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折角なので、本校である上美生小学校跡も立ち寄った。
昭和13年建立の創立記念碑が目を引く。

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二宮像も健在である。

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創立50周年の記念碑には宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が刻まれていた。

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懐風樹
霊峰剣山を背に聳えるこの柏は、上美生の象徴であり、上美生小学校に学んだ千六百有余名の懐古の樹である。
明治三十六年、柏の巨木が密生する原始林に開拓の斧が下され、六年後にこの地に小学校が移設されるや父祖の慧眼によってこの柏樹一株が伐採を免れた。爾来幾星霜の厳しい風雪に耐えて樹令を重ねつつ学童の成長を見守り続けてきた。
体育や教練で汗を流してはこの深い緑陰に憩い、勉学や人生の憂愁には毅然たる孤影を仰いで決意を新たにした。長じて他郷にある者は彷彿としてこの大樹を想い、旧友恩師と学舎に懐旧の情を禁じ得ず、故郷を継承する者はこの老木に開拓の労苦を偲んで温故知新と地域発展を改めて誓う縁としてきた。
昭和五十八年の学校統合により旧舎の姿は脳裏に留るにすぎない。校庭の一隅に枝葉を繁茂し、大地に強靭な根を張って教訓を賜わった由緒あるこの柏樹を幽遠に記念樹として保存するものである。願わくば樹霊の巌と慈をもって地域と卒業生の未来に加護あらんことを。
昭和六十一年十月 上美生小中学校同窓会

参考文献

芽室町2000『芽室町百年史』芽室町
プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。
名寄市、札幌市、東京都、旭川市を経て現在、札幌市に居住。
廃墟・炭鉱や鉱山跡、廃村や限界集落を訪ね歩くのが趣味です。

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