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浦河町女名春別 S先生の証言

浦河町女名春別は、戦後開拓集落で「学校跡がある廃村」の一つである。

今回、筆者の中学時代の恩師が女名春別小中学校で勤務していたことを知り、19年ぶりの再会と聞き取りを兼ねて
記録したものをまとめた。

私は、昭和36年4月より昭和38年4月末まで女名春別中学校に教員として赴任した。

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集落風景。女名春別小中学校までの道中

大学を卒業した新卒であったので、面接官(女名春別小中学校校長 N先生)から「景色もいいところで何も荷物はいりません。体一つできてください」と言われ、そのまま引き受けた。
採用が決まり、浦河町の市街地から三輪トラックで上杵臼開拓農協まで乗せてもらい、女名春別までは徒歩で移動した。

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集落風景。川を渡った対岸に家が点在していた。

赴任した頃の女名春別は、電気・水道が通っていなかった。川の淵を掘ると水が湧き出てくる。この水を溜めて米とぎや洗面をした。
一番びっくりしたのが、ある日溜水で洗面しようとしたらカエルの卵があったことだ。私は美瑛町出身なので農村での生活は分かっていたが、カエルのタマゴには流石に驚いた。
女名春別には週1回、行商が来ていた。パンといった食料品のほかに新聞も取り扱っていたが、新聞は1週間遅れであった。
行商の買い物に間に合わなければ、上杵臼にある開拓農協(上杵臼開拓農協)まで買いに行った。夏場は刈分道路なので道路状況は悪かった。反面、冬は造材の道がついていたので歩きやすかった。

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集落風景。この先に学校があった。

私は中学の担当であったが、N校長は国語と音楽を教えていた。
校長が出張で不在になると私が9科目すべて教えることとなった。校歌はN校長が作詞・作曲したもので(年度不明)、校章・校旗はない。

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学校跡地を示す記念碑。

私が女名春別に赴任してから、学校風呂を作った。それまで、子供らは川で水浴びをしていたが冬は水を含ませた布で体を拭くのがせいぜいだったと思う。
学校医風呂は校長住宅と、教員住宅の間に設けた。
ところが、水汲みが問題となり水汲みは自分たちで、お湯を沸かすのは当番で決めていた。

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教員住宅。閉校後は「楽古山荘」として転用された。

運動会は、集落の一大行事であった。女名春別には神社が無かったので学校が中心であった。子供だけでなく、大人や教員も入り混じっていた。焼酎を飲んで参加したので、酔いもよくまわった。
子供たちは殆ど親の手伝いをしていたが、休日は縄跳びやケンケン、釣り(ヤマベ)をして楽しんだ。

へき地の学校に赴任してよかったことは、素直な子供たちと接して教育の原点や子供の気持ちを教えられたことだ。
後に、都市部の学校へ赴任したときに塾で予習してきた子供や、非行へ走る子供とも向き合った。

その反面、大変だったことは情報が入ってこないことや万が一のことであった。
情報源はトランジスターラジオであったが、山間部なので雑音が入り混じりよく聞こえない。
新聞も前述したとおり、週1なので他校の同僚と会うときは辛かった。

また、昭和36年12月に風邪を引いてしまうが無理をして授業を続けた。
終業式の日、オルガンで校歌を演奏中に意識を失い、集落の住民が上杵臼まで運び、浦河市街地の病院に運び込まれた。
気がついたのは年が明けた1月1日。親戚中が集まって何事かと思ったが、後で聞くと肺炎を起こしていた。

女名春別では現金よりも物のほうが価値があった。その為、給料が出ても現金を見たことが無かった。校長住宅で下宿していたときは、月6,000円であった。

集落の副産物として、シイタケが取れた。シイタケを乾燥させて売り込み、売り上げたお金で集落の住民とトラックに乗って海水浴に行った。ほかに、エンジュも取れたので中学生らと一緒にエンジュを採りにいき、バットの原材料として材木屋に売ったこともある。
家は学校の傍に1軒、その下手に1軒。学校の対岸に吊橋があり、渡った先の川沿いに人家が点在していた。

電気は昭和37年秋頃に導入されたが、電化の導入と同時くらいから転出者が現れ始めた。
電化以前はランプ生活だったので、ランプのほや磨きは子供たちの仕事であった。PTA会長は、ずっとOさんであった。

昭和38年4月に浦河市街の学校へ転出し、一緒に勤務したN校長は、様似町に転出していった。
学校関係の写真も幾らか持っていたが、生憎教え子に渡してしまったので手元には無い…。


聞き取り日時 平成28年6月18日 旭川市内
写真       平成28年5月30撮影
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女名春別・東美唄

久しぶりの更新ですね(^_~)-☆
現況の画像、キャプションがあると、よくわかってよいのではと思いました。

Re: 女名春別・東美唄

HEYANEKOさま

コメント有難うございました。また、現況の画像のキャプションの件、承知いたしました。
仕事が忙しく思うように更新出来ませんが、年内はあと1~2回くらい、更新できたらいいかなと思っています。

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プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。札幌市在住。
元陸上自衛官。
北海道の地方史や文芸を中心としたサークル『北海道郷土史研究会』主宰。

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