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西興部村忍路子開拓

興部村忍路子開拓(平成31年2月11日探訪)

西興部村忍路子開拓は、戦後開拓集落である。
元々忍路子は左沢(本流)、右沢(山形団体)に分かれ、左沢には明治43年から、右沢は大正2年からそれぞれ移住者が現れ集落を形成していった。
終戦後、道有林沿いの未開地に戦後開拓者の大半が入植した。
既存農家よりもさらに奥地であるため小学生の中には8キロメートルの距離を往復することは至難である。
このため、分校設置を村に要請、昭和26年2月村議会で議決された。その後、鷲野辰次郎所有地3反歩の寄贈を受け、同年11月1日村立西興部第1分校の認可を受け、同月20日開校した。
当初は冬季間のみの分校としての計画であったが、通年教育を同校で行うよう小学校として独立することに村議会で決定した。
昭和30年代後半より入植者は殆ど離農し、また既存農家も離農が相次ぎ昭和46年3月、最後の卒業生2名を送り出し閉校した。

学校の沿革は以下の通りである。

昭和26年 西興部小学校第1分校として開校(11月)
昭和27年 忍路子小学校と改称(4月)
昭和46年 閉校(3月)

集落の出来事は以下の通りである。

昭和32年 へき地集会所落成(12月)
昭和34年 風力発電設備設置
昭和37年 公衆電話設置
昭和44年 NHKテレビ番組「北海道の窓」で「2人と2人」(先生2人と児童2人)放送

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平成31年2月、HEYANEKO氏らと訪れた。
学校跡地には記念碑(木碑)が建立されていた。

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学校より先に1軒のお宅がある。

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道路標識を見ると「牛横断注意」とあった。

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学校の手前には半壊した屋敷が残っていた。

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半壊した屋敷から学校跡を望む。


参考文献
西興部村史編纂委員会1977『西興部村史』西興部村役場
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プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。
名寄市、札幌市、東京都、旭川市を経て現在、札幌に居住。
廃墟・炭鉱や鉱山跡、廃村や限界集落を訪ね歩くのが趣味です。

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