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月形町中野

月形町中野(平成30年5月・令和4年1月探訪)

月形町中野は農村集落である。
明治27年、月形監獄は残余の土地を村に払い下げようとしたが村は用地所得の必要はないとのことで、監獄の御用商人であった中野要吉は内山寅之助に相談したところ、内山の出身地である新潟県に帰って小作人を募集した結果、17家族が入植し「中野農場」が発足した。
明治33年、再び監獄用地払い下げ入札の折、払下げの希望を出していた常世此治が落札し、7家族が入植し「常世農場」が発足した。
さらに明治43年、山林地帯約300町歩を田村外蔵が購入し、小作人をいれたのが「田村農場」の始まりである。このほか、仙台団体の入植者が現れ、次第に開拓されていった。
学校の沿革は以下の通りである。
明治35年 中野教育所として開校(私立・1月)
明治36年 中野農場簡易教育所と改称(9月)
明治41年 中野農場教育所と改称(5月)
大正 6年 中野農場尋常小学校と改称(1月)
昭和 6年 中野尋常小学校と改称(1月)
昭和13年 女子青年学校開校(11月)
昭和16年 中野国民学校と改称(4月)
昭和22年 中野小学校と改称(4月)
昭和49年 閉校(3月)

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令和4年1月、HEYANEKO氏、A.D.1600氏と訪れた。
学校跡地は雪に埋もれていた。

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2メートル近い雪壁をよじ登りながら学校跡へ到達する。

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神社跡へ足を運ぶ。

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新雪を踏みしめながら先へ進む。

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神社へ通じていた吊り橋跡。

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神社跡地。

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神社跡地に建立されている開拓記念碑。

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開拓記念碑を雪から掘り起こした。

ここから先は平成30年5月に探訪した時のものである。
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サクラが咲き始めた中野小学校跡地。

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中野小学校跡の基礎。

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瓦礫と化した校門があった。

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神社へ通じていた吊り橋の基礎。

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吊り橋のワイヤーロープ。

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神社跡地。
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神社跡地に建立されている開拓記念碑。

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碑文
明治二十七年
中野要吉氏中野農場を開き伊夜日子の神を祀る
明治三十二年
常世此治氏常世農場を開き天照大神祀る
明治四十三年
田村外造氏田村農場を開く是に仙台団体当別
入植正一位伏見稲荷を祀る
昭和五十三年九月九日 発起人一同 建之

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屋敷跡。

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屋敷跡。

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中野小学校はサクラに彩られていた。


参考文献
月形町史編さん委員会1985『月形町史』月形町
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月形町月形炭鉱

月形町月形炭鉱(令和2年10月探訪)

 月形町月形炭鉱は炭鉱集落である。
 月形炭鉱の発足は明治時代であるが、会社組織として本格的に稼働し始めたのは戦後に入ってからである。
 昭和22年斉藤太助が弓良源作と共同で石狩炭鉱株式会社の名で企業活動をはじめた。翌昭和23年東京の寿炭鉱が買収し、月産20~30トンで採炭を始めた。
 昭和26年東華炭鉱が経営を譲り受けたが昭和28年日満鉱業の所有となり、採炭規模も日産100トンに上昇した。
 昭和29年月形鉱業株式会社が粗鉱権を得て、実際の採掘作業は下請会社の尾張組が行った。また、昭和27年より進めてきた豊ヶ岡駅-落葉の沢間、落葉の沢-坑口への索道敷設工事が完了し、運転を開始した。
 昭和33年炭質が向上せず経営不振に陥っていたが羽幌鉱業が買収した。
 昭和36年尾張組の手で融資を申請し、100万円の資金で労働者の増員、坑内機械の入替で再建を図るが経営は下降線をたどっていく。
 昭和38年4月30日 月形炭鉱閉山。

小学校
昭和28年 月形小学校紅葉谷分校として開校
昭和29年 紅葉谷小学校と改称
昭和38年 閉校

中学校 
昭和30年 紅葉谷中学校開校
昭和38年 閉校

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令和2年10月、きたたび氏らと探索した。
クルマで行けるだけ行き、あとは徒歩行進である。

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川を渡渉し、廃道と化した道を進むとようやく月形炭鉱の入口が見えた。

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橋を渡り、進む。

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右手の平地は落葉住宅跡。
2階建ての寮が建ち、当時、月形町内で最も近代的なアパートとして市街地の人々が見物に来た。

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落葉住宅跡から先へ進む。

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橋を渡る。
橋の名は「紅葉橋」
橋を渡った川の対岸に、煙突が見えた。

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川を渡った先に残る煙突は学校跡である。
月形町立紅葉谷小中学校。

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校舎の基礎も残っている。

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一段低くなり、笹が生い茂っているところはグラウンド跡である。

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グラウンドに降り立ち、校舎跡を望む。

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学校を後にし、先へ進む。
コンクリートの基礎が所々残っている。

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選炭場が近づいてきた。
炭鉱住宅の跡である。

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選炭場が見えた。

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月形炭鉱坑口。

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選炭場を瞬時に見て「これくらいなら登れる」と判断。
笹や木にしがみつきながら登る。

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選炭場の頂上へ到達した。

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頂上を覗くと、落葉で埋め尽くされていた。

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頂上から下へ降りる。

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選炭場の中腹くらいには別な坑口があった。

帰路、息を切らしながら元来た道を歩く。今までの探索の中で一番過酷な探索となった。
日没寸前のところで月形市街へ帰還した。

参考文献
月形町史編さん委員会1985『月形町史』月形町

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テーマ : 廃墟系
ジャンル : 写真

プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。札幌市在住。
元陸上自衛官。
北海道の地方史や文芸を中心としたサークル『北海道郷土史研究会』主宰。

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