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積丹町浜婦美

積丹町浜婦美(平成23年5月5日・平成30年6月9日探訪)

積丹町浜婦美は海岸沿いの、漁村の集落であった。
浜婦美は江戸時代末期の安政年間(1854年から1859年)に漁場として開発された。

浜婦美は明治29年7月 美国尋常高等小学校浜婦美分教場として誕生した。

明治35年 婦美尋常小学校として独立した。

ニシン漁最盛期の大正時代には、浜婦美集落に60戸の民家があった。
この頃の児童数は約50名を数えていた。

昭和2年に再度、統合されて美国尋常高等小学校婦美分教場となった。

一方、浜婦美に対し「山婦美」と呼ばれている地域がある。字の如く、山側に位地している。
山婦美にある婦美小学校は昭和12年 美国尋常小学校婦美特別教授場として創立し、昭和16年 中の里国民学校として独立、昭和23年に婦美小学校となった。

元々「婦美小学校」と最初に名乗ったのは浜婦美であったがニシン漁の衰退、農地開発の進行と共に山婦美の学校が本校となった。
尚、婦美小学校の閉校は昭和52年である。

一方、浜婦美は昭和22年に美国小学校婦美分校と変更になり、昭和26年に浜婦美分校と改称された。

昭和30年代に入ると過疎化が進行した。

昭和37年3月の浜婦美分校卒業式では、卒業生1名 在校生8名が参加した。この当時、浜婦美には10戸の家があり、集落総出で卒業式が行なわれた。(昭和37年3月 北海タイムスの記事より)

昭和40年3月閉校。
閉校時の児童数は5名。卒業生総数125名であった。

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探訪当日「北海道旅情報」管理人 井手口征哉氏、N氏、私の合同探索であった。
GPSを頼りに進んでいく。

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海が見えてきた。
積丹ブルーで、これには思わず感嘆の声を上げた。

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唯一残る番屋が見えた。

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斜面を下り、海岸に降り立った。
屋根に穴が開き使われていないのかと思ったが、後で聞くと「今も使っている。」とのことである。

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綺麗な積丹ブルーの海。
浜婦美はスキューバダイビングやカヌー愛好家の間で知られている場所だが、ここに学校があったことを知っているのはどれくらいいるのだろうか。

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番屋の後ろ側。
この辺りに神社があったみたいだが、既に無くなっていた。

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大きな鍋の中には浮き球が入っていた。

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石垣が残されている。
人々が暮らしていた痕跡の一つである。

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学校跡地は、集落の中腹にあった。
道(沢)沿いに歩いてみる。

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夏場は草木が生い茂り容易に進めないが、この時期は歩きやすい。

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途中、埋もれかかっていた瓶ビールを見つける。
「Sapporo」とあるので今のサッポロビールではないかと思うが…。

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配水管が繋がっていた。
配水管の先を行ってみる。

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朽ち果てた建物が姿を現した。
これが美国小学校 浜婦美分校の建物である。

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瓦礫にまみれながらも下駄箱が残っていた。

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学校は閉校後、集会所として活用されていたがいつまで活用されていたかは分らなかった。

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夏になれば薮で生い茂り、全容は掴めない。
この時期しか行くことができない。

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町内会館として使われていた頃のものだろうか。
ジュース瓶が転がっていた。

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校舎の背後には教員住宅があった。
瓶を埋めてかたどった花壇が残されていた。

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花壇の背後に、教員住宅の基礎が僅かに残されていた。

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校舎の背後に海が見える。
江戸時代よりニシン漁で開発された漁場も、ニシン漁の衰退や過疎化により廃村となってしまった。

時は流れ、平成30年6月、HEYANEKO氏と再訪した。

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笹薮を漕ぎ、道なりに進むと番屋が見えた。
番屋は傷みが進んでいた。

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しかし、道が崩落していたので行くことはできない。
学校跡地へ行くことにした。

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学校跡へ行く途中、石垣を見つけた。
学校は近い。

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学校跡地へ着いた。
7年ぶりの再訪を果たしたが、朽ち果てていた。

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一段上にあった教員住宅跡。
瓶でかたどった花壇があるが、これでは分からない。

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手鎌で草を刈る。
花は無いが、花壇を復活させた。

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教員住宅跡より学校跡を望む。
7年の歳月を感じた再訪であった。
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プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。札幌市在住。
元陸上自衛官。
北海道の地方史や文芸を中心としたサークル『北海道郷土史研究会』主宰。

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