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大樹町館山

大樹町館山(平成28年5月30日探訪)

大樹町館山は農山村集落である。

集落名の由来は宮城県館矢間村からの移民が多かったことから「館山契約会」という部落会を作ったが、やがて故郷館山の名前を冠し、集落名とした。
明治43年 植民地の区画割をしたことがきっかけとなり、翌明治44年4月蓬田忠六を団体長とする移民と、加藤亀次郎を団体長とする移民が入植した。草分けの人々は蓬田・加藤のほか佐藤宇太郎、佐藤政治、加藤薫、今野善治、齋藤源三郎であった。
入植者はその後も現れ、大正7年頃は24戸を数えていた。

「館山契約会」は24戸を3部に分割して諸般の行事や総会、作付けや相場などを相談しあい、営農に励んだ。

学校は永らく、明道小学校や石坂小学校に通わせていた。
学校の沿革は、以下の通りである。

昭和20年6月1日   石坂国民学校傘骨分校として開校(原文ママ)
昭和23年3月31日  館山小学校として独立
昭和23年10月13日 校舎改築移転
昭和35年8月20日  校舎新築落成
昭和43年3月31日  大樹小学校に統合 

※離農が顕著に現れ始めた年代は『大樹町史』に書かれていなかったが、昭和30年代後半から40年代初頭にかけてと思われる。

昭和43年閉校直前の戸数 9戸 児童数 12名であった。

CIMG8433.jpg
国道236号線 大樹町と広尾町の境目あたりを西へ進む。

CIMG8432.jpg
道路左手に館山小学校が見えた。
現在は、私有地の中にある。

CIMG8435.jpg
学校を挟んで斜め向かいに、神社と石碑が見える。
フキをなぎ倒して進む。

CIMG8437.jpg
拝殿は朽ちつつも残っている。

CIMG8438.jpg
石碑は馬頭観音である。

CIMG8434.jpg
学校より奥の風景。
居住者はいないが、通い作で今も畑が維持されていた。

参考文献

大樹町1969『大樹町史』大樹町
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プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。
名寄市、札幌市、東京都、旭川市を経て現在、札幌に居住。
廃墟・炭鉱や鉱山跡、廃村や限界集落を訪ね歩くのが趣味です。

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