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厚岸町小島

厚岸町小島(平成28年5月29日探訪)

厚岸町小島は漁村の集落であり、夏季間のみ居住し冬季間は無住になる集落である。

明治12年頃より昆布採取のため小島に来る漁民が現れはじめた。
明治30年頃になると漁場が設けられ、戸数は40戸を越し飯場も設けられた。
当時、島の北側は国泰寺、南側は田中、西北側は林の所有地で東側山麓一帯は官有地で草原地帯であった。
しかし、段々とニシン漁が不漁となったことや地形変動により戸数も10数戸と減少し、昆布漁を生業とする本来の姿に戻った。
この頃より島の子弟の教育に対する機運が高まり、明治37年 床丹簡易教育所附属小島特別教授場として開校した。
校舎は北側の国泰寺地内に建設したが、海水による決壊が甚だしく昭和10年に校舎を島中央付近に移転させた。
併せて、島の護岸工事を働きかけた結果昭和37年、北側に90メートルの護岸が設置され、電話・電気の導入、突堤9基が設置された。
学校の沿革を纏めると以下のとおりである。

小学校
明治37年 床丹簡易教育所附属小島特別教授場として開校(9月)
明治40年 小島簡易教育所と改称(5月)
大正 6年 小島尋常小学校と改称(4月)
昭和10年 校舎移転(12月)
昭和16年 小島国民学校と改称(4月)
昭和22年 小島小学校と改称(4月)
昭和39年 新校舎落成(10月)
昭和50年 閉校(3月)

中学校
昭和25年 神社において授業開始(5月)
        旧大黒島小学校校舎を移転し東側山麓に小島中学校校舎建設(5月)
昭和50年 閉校(3月)

閉校時の報道記事を転載する。

あゝ潮騒の学びや 70年の歴史にピリオド厚岸小島小中学校 入学児なく廃校涙の教育実践奨励表彰 PTA
「「潮騒の中での授業が懐かしい」-一周800メートルの小島で開校70周年の歴史を刻んだ厚岸小島小中学校(神田貫宗校長)が新年度入学児童ゼロのため今月17日の卒業式をもって長い歴史を閉じる。この学校を物心両面にわたりバックアップしたPTA(向山徳松会長)の永年の実践活動に対して釧路教育局は1日、釧路管内教育実践奨励団体として表彰した。表彰式には、厚岸小島で生まれ、小島とともに人生を歩んできた向山会長、神田校長ら4人が出席。晴れの栄誉を胸にしながらも大きな心の支えを失った悲しみをただよわせていた。
 厚岸小島小中学校が開校したのは明治37年9月1日のこと。以来、一周800メートルという小さな島の唯一の〝文化センター〟として部落民あげての支援体制が出来上がり、大正から昭和初期にかけて巻き起こった廃校問題に対し力を結集して連判状をかいて存続を訴え昭和2年から5カ年にわたり9戸の部落民が200円(当時)を出し合い、部落ぐるみで学校を守ったいきさつがある。
 こうした伝統に支えられ、厚岸小島小中にPTAが正式発足したのは24年10月。以来、本来的なPTA活動をはじめ、環境整備、家庭教育、生涯教育、教師のための足の確保(漁船運行)など、部落と学校が一体となって理想的教育の推進につとめた。しかし、新年度から新入学児童がいなくなることから開校70周年を迎えた学校に廃校問題が持ち上がり、PTA、部落民は「新入学児童が学校に上がる時期に再度開校」を条件に泣き泣き廃校に同意した。
 学校とともに歩んだPTAの永年の功績が認められ、阿寒町上徹別小、釧路村学校保健委員会、タンチョウ特別調査員の林田恒夫さんと並んで1日、釧路教育局から管内教育実践奨励団体として表彰されたが向山会長、神田校長、石崎勝副会長、監査の塚田正さんは寂しさをかくしきれずに複雑な表情。厚岸小島に生まれ、70歳になる向山会長は「孫は廃校になって4月から厚岸真竜中に通う。長い歴史を積んだ学校だけに廃校は心さびしい限り。」また、祖父の定太郎さんが小島小中の第1回卒業生で、父親の定次さん、そして親子3代にわたって小島小中を卒業したという石崎副会長は「非常に残念で悲しいことだ」と言葉少なに話していた。
 一方、神田校長も「部落には10戸と2世帯の教員住宅があるだけ。部落民と親子同然の家庭的つながりも生まれていたのに廃校は残念だ。新入学児童が50年から52年までの3年間、生まれないということもあるが、廃校の条件として3年後の開校を強く訴えた」とPTAの力強いバックアップに支えられた在任期間に深く感謝。4月からは潮騒の中での授業風景がもう見られなくなるが、部落民の心の中には教育実践奨励団体の栄誉と小島小中の思い出が深く宿りそうだ。」(「釧路新聞」昭和50年3月2日)

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平成28年5月 HEYANEKO氏の道東廃村調査のなかでもメインである小島の探訪が近づいてきた。
この時は顔見知りの仲間だけではなく、道新の記者の方も交えての探訪となった。
手前の島が小島、奥が大黒島である。

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漁船をチャーターして、小島へ出航した。

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漁船で廃校をたずねたのは人生で初めてであった。
北海道が遠くなっていく。

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小島に着いた。

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小島集落の風景。夏の間はコンブ漁で賑わう。

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小島小中学校の校舎は、今も使われている。

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教室内部。ここで島民から往時の小島の暮らしや学校との関わりについて伺った。

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聞き取りを終えると、それぞれ散らばって小島を散策した。

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教員住宅と思われる建物。

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ちょっと内部を覗いたが、腐朽が著しく深追いしなかった。

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島の北端部。かつてはこの先に校舎があったが、島の地形が海水で侵食、決壊されることから校舎は移転した。

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神社横に建立されていた石碑。大正4年9月 大正天皇御即位を記念したものである。

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小島で一番高い山。鳥の住処と化している。

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小島集落を俯瞰。
冬季は無人になるが、夏季はコンブ漁で賑わいを見せている。

参考文献
釧路新聞1975「あゝ潮騒の学びや 70年の歴史にピリオド厚岸小島小中学校 入学児なく廃校涙の教育実践奨励表彰 PTA」『釧路新聞』昭和50年3月2日
『70年のあゆみ』厚岸町立小島小中学校
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プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。札幌市在住。
元陸上自衛官。
北海道の地方史や文芸を中心としたサークル『北海道郷土史研究会』主宰。

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