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増毛町信砂御料

増毛町信砂御料(平成21年5月3日・平成24年4月30日探訪)

信砂御料は信砂地区の奥にあった集落である。

明治40年4月9日、御料農地第十六号地及び隣接する斎藤勝太郎の納屋を借りて信砂尋常小学校分教場仮校舎として発足した。斎藤氏は当時、有識者であったので代用教員として同年4月15日 授業を開始した。

ところが同年12月5日、暴風雪のため仮校舎が倒壊し復旧まで休校を余儀なくされる。

大正期に入ると移住者が増加し、大正7年度の末期には55名の児童が在籍していたが、離農による住民の他出が激しくなり昭和5年度には12名にまで減少してしまう。

昭和8,9年度に補助移民22戸入地し、再び児童数も増加した。

昭和9年6月22日 信砂尋常小学校より独立して信砂御料尋常小学校となった。

現在地(校舎跡)へは舎熊駅(無人駅)より14キロ、国道231号線の彦部より信砂川沿いの道道彦部妹背牛間を南へ12キロ遡ったところに位置している。

昭和16年 信砂御料国民学校となり、昭和22年4月1日 増毛町立信砂御料小学校となった。

昭和25年5月1日 中学校が併置される。

昭和37年10月15日 開校55周年記念式典が挙行された。

信砂御料は先に述べたとおり、大正中期頃より離農による転出者が増えたが戦後もまた、離農による過疎化により廃村となった地域でもある。

昭和20年11月 戦後開拓により集団帰農者 20戸70名が入植した。入植者の出身の大半は大阪府であった。
さらに樺太からの引揚者も加わり、昭和26年に増毛町開拓農協(42戸)が設立された。主として水田経営・酪農・果樹栽培が行なわれていた。

しかし、新時代の農業へと意欲を燃やしたこととは裏腹に、自然の猛威が立て続けに信砂御料地区を襲った。

昭和28年度の冷害による凶作、翌 昭和29年度は台風15号の被害。

さらに積雪量の多さや増毛市街地までの輸送問題、山に囲まれた地域であるため日照時間が不足していた。

農家の中で最も弱かったのは、入植して日の浅い開拓農家であった。

また、沿岸部のニシン漁は昭和28年の豊漁を最後に凋落していった。
農家の浜稼ぎであるニシン漁の衰退は小規模農家にとって、致命的となってしまった。

昭和38年 補助離農制度による15戸の集団離農を筆頭に、前後して他産業へと転換していった。

昭和52年3月31日 増毛町立信砂御料小中学校 閉校。

信砂御料は、現在定住者もおらず、増毛町の最終処分場しかない地域である。

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いきなり学校跡地の写真で恐縮である。
学校跡地は平成24年4月30日「学舎の風景」 管理人piro氏と訪れた。

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学校跡地より増毛方面を望む。
探訪当時は、1メーターくらいの残雪があった。

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学校より奥の風景。
道道94号増毛稲田線が走り、北竜町竜西へと繋がる。

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目を凝らすと、サイロの基礎が残されていた。
よく見ると「○東」と書かれている。
経営されていた方の名前かと思われる。

127.jpg
こちらは名前が書かれていなかった。
ただ、傍に細いマツの木が生えていた。

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これから紹介する写真は、平成21年5月3日 「北海道旅情報」管理人 井手口征哉氏と訪ねたときのものである。
信砂御料小中学校跡地より、約6キロ手前にある酪農跡。
傍にサイロが残されている。

CIMG2621.jpg
上記の酪農跡地よりさらに手前側の農家跡。
もしかしたら、信砂小学校の通学区域かもしれないが、人が住んでいる気配は無い。

CIMG2622.jpg
少し進むと、植林風景の向こうに倒壊した家が見える。
人々の暮らした営みも、こうして消えてしまうのか。

CIMG2627.jpg
井手口氏と探訪した当時、信砂御料小中学校跡地は特定できなかったが代わりに「名前」がはっきり記されたサイロを見つけた。
サイロに「山東」と記されている。
もしかしたら上記の「○東」と同じ、ご親族の方が暮らしていたものなのだろうか。

いずれにしても人々が開拓して暮らした集落は、自然に還っていってしまった。
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拙稿が掲載されました。

手前味噌で恐縮です。

私が加入している「北海道文化財保護協会」にて刊行している「北海道の文化」という研究紀要に、拙稿が掲載されました。

043_20130301200839.jpg

昨年夏「学校跡がある廃村」である中川町大和を探訪した際の探訪記録と、大和の集落についての聞き取りをまとめました。

046_20130301200842.jpg

中川町のへき地等級 5級の廃村は大和と板谷があります。
板谷は校門や木製の記念碑が建立されていますが、大和については何も無く、学校跡地に大きな松の木が数本あるだけなので「せめて記録として残そう」と思い、大和を取り上げることにしました。

北海道文化財保護協会のアドレスはこちらです。何かありましたら、こちらへお問い合わせください。

http://www10.ocn.ne.jp/~bunkazai/

024 - コピー


尚、聞き取り取材に応じてくださった中川町佐久 藤田旅館 館主 藤田一万さまですが平成25年2月20日 逝去されました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。
名寄市、札幌市、東京都、旭川市を経て現在、札幌に居住。
廃墟・炭鉱や鉱山跡、廃村や限界集落を訪ね歩くのが趣味です。

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