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八雲町上鉛川

八雲町上鉛川(平成26年10月12日探訪)

八雲町上鉛川は、明治40年遊楽部川と鉛川の合流点より遡ることおよそ10キロから22キロに渡るペンケルペシュペ殖民地内の基線地帯が区画開放された。

※「遊楽部川と鉛川の合流点より遡ることおよそ10キロから22キロ」であるが、これだと八雲鉱山まで該当してしまうので「八雲町史」の文面は間違いである。
遊楽部川と鉛川の「合流点」から起算すれば、大体6キロである。

※「10キロから22キロ」は八雲駅から起算しての数字である。

当時の人々は「奥鉛川」と呼んでいた。

明治41年 渡辺久三郎ら5戸が入植し、明治44年には戸数40戸を超えていたが、当時は道路そのものが無かった。
そのため、開拓と同時並行して雲石街道の開削が進められていた。

鉛川下流区域の子供たちは、鉛川特別教授場(後の鉛川小学校)に通学することができたが、上流部の子供たちは通学の距離の関係で出来なかった。

住民らは総力を結集し、教育所の創設を陳情した。
その結果、大正2年1月 特別教授場の新設について議決を得ることができたが住民らは先駆けて私設教育所を開設し、末松謙を教員として雇った。

だが、公設が容易に実現しなかったため、私設のまま維持できる資金もなく翌3月限りで廃止となってしまった。

しかし村もこのままにするわけにはいかず、これを仮校舎に当てて大正3年4月10日 八雲尋常高等小学校付属上鉛川特別教授場として開校した。
開校当時の戸数は42戸で、児童数は24名。教員として大江安蔵が任命された。

翌大正4年 児童が32名に増えたことや仮校舎が粗末であったこと、建築場所自体が低湿地であったため、早急な改築が迫られた。

住民らは協議を重ね、ペンケルペシュペ基線10号58番地(当時 田中今吉所有)の土地を借り受け、村からの補助金100円と寄付金160円を集め、出役奉仕で同年9月に新校舎が落成した。

大正5年 児童数が36名を数えたが、この時が頂点であった。

大正12年度までは30名台を維持してきたが、大正13年度に20名以下に落ち込んだ。

昭和3年に再び20名台を維持し、昭和13年頃まで続いた。

昭和16年4月1日 八雲国民学校上鉛川分教場と改称。

昭和22年4月1日 八雲小学校上鉛川分教場と改称。

昭和25年10月1日 上鉛川小学校と独立。

昭和26年1月より中学生3名を、小学校で委託を受けて教授する方式が取り入れられていたが、昭和27年9月 上鉛川中学校が設立された。

また、老朽化した校舎の改築が急がれていたことから昭和29年10月 49坪の校舎を新築した。

小学生20名 中学生8名で新体制を整えたが、間もなく過疎化の影響を受け始めていった。

昭和34年 小学生10名 中学生6名。

昭和39年 小学生3名 中学生4名にまで減少し、残された住民と話し合いをした結果、児童生徒の通学輸送を要件として話がまとまった。

昭和40年3月31日 閉校となった。

閉校後、長らく校舎の一部や教員住宅が残されていた。

時が経ち、平成20年度・21年度に八雲町地域バイオマス利活用施設の建設工事が行われた。

工事は平成22年3月25日に完了し、稼働が始まった。

工事に伴い、辛うじて残っていた校舎の一部や教員住宅は解体された。

CIMG4162.jpg
学校前の風景。
真新しい工場が稼働しているが、工場以外の建物は見当たらない。

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工場の片隅に、学校跡地を示す記念碑はあった。

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紛れもない、上鉛川小中学校跡地である。

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学校跡地より奥の風景。
サイロも残されていたらしいが、道南の廃校に詳しいラオウ氏の話では「道路工事の際に撤去されてしまった」とのことである。

CIMG4212.jpg
学校手前にあった上鉛川神社跡地へ行ってみる。

CIMG4206.jpg
背後には、ご神木と思われる樹木が聳えている。
笹薮をかき分けて進む。

CIMG4207.jpg
拝殿の屋根があった。

CIMG4208.jpg
別な角度より。
上鉛川の痕跡は、学校跡地の記念碑と拝殿の屋根しか残されていなかった。
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ここの神社はボクも新発見でした。ありがとうございました。

No title

ラオウさま

先日はお疲れ様でした。上鉛川の今ある痕跡は、学校跡地の碑と崩れた神社の屋根(ご神木)ですね。

No title

毎回愉しく閲覧させて頂いております。
小職は貴殿が昔就職された職種であります。
よく、外国い゛勤務すると「日本人は自国の歴史を知らない」と言われます。
北海道人であるにはまずね自分が住んでいるところの歴史や現状をしる必要があります。
貴殿のしていることは大変有意義だと思います。
今後も愉しく閲覧させて頂きます。

No title

ひろさま

コメント有難うございました。
また、お褒めの言葉をいただき恐縮しています。

仰るとおり、まずは自分たちの住む場所(国)を振り返り、過去から学び、現状を把握することが大事だと思います。
これからも現地調査は楽しく、そして調べ続けたいと思っています。
プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。札幌市在住。
元陸上自衛官。
北海道の地方史や文芸を中心としたサークル『北海道郷土史研究会』主宰。

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