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暑中お見舞い申し上げます。

暑中お見舞い申し上げます。

いつも当ブログをご覧いただき有難うございます。

北海道も、今年は蒸し暑い日が続いています。

管理人の近況として、現在は大学4年生となり就職活動の最中にいます。

卒業論文の作成やアルバイトで忙しい毎日ですが、お陰さまで事故もなく、病気もせず元気に過ごしています。
皆さまからお寄せいただきましたコメントは、すべて拝読しています。

今年の調査は北海道南部 とりわけ、八雲町上八雲地区・富咲地区にスポットをあてて調べています。

CIMG5297.jpg
八雲町夏路(サックルペシペ) 学校前の民家跡(S氏宅跡)。

CIMG5317.jpg
夏路神社 拝殿の道中、神社前を俯瞰。

(画像は平成27年5月3日撮影)

あと半年後に卒業できるのか、気になりますがまずは健康に気をつけつつ、過ごしたいと思う次第です。
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歩古丹調査

大変興味深く閲覧させていただきました、私も行きましたが、大変貴重な経験だったと思っております。

Re: 歩古丹調査

たむくまさま

コメント有難うございました。
私が歩古丹を訪れたのはもう、かなり前になりますがその時は「最短経路」で訪れました。
時期は5月なので草がそれほど生えていませんでしたが、今時期はジャングル状態ですね。
後から聞いた話ですが、歩古丹はマムシも出ますのでご注意ください。

美深町小車

はじめまして。
こちらのブログは以前から拝見して存じ上げておりましたが、
そういえばと昨夜、昔小車のあるお宅へ奉公に出ていた祖母と、
その姉とにこちらのページを見せながらあれこれと話を聞いてみたりしていました。
永沢宅跡、西村宅跡、仁木宅跡の画像をとても懐しそうにしておりました。
笠原さんや三条さん、水銀湖とそこにいらした労働者の方々についてもよく憶えている様子で、
話に花が咲き、なんだか良いお盆を過ごしたように思います。
貴重なエントリーのご掲載に感謝致します。

「夏路」はアイヌ語じゃなかったんだ!

昔「夏路」という地名から、アイヌ語ではないかと探していましたが、
見つかりませんでした。なるほどです。
「サクル・ルペシベ」の意訳だったんですね。
「咲来」や「札弦」、「佐久」、「早来(『はやきた』とも読む)」と同じなんですね。
「夏川」とか「夏道」とつけず「夏路」とつけたのに、なんとなく風流を感じたりします。
・・・八雲は旧校舎が残っているって聞きましたけどみならいかのん

北海道に住んでいるうちに、「大新」、「大関」、「桜野」や「わらびの」に行ってみたかったす。
・・・ゆたか

Re: 美深町小車

といにさま

コメント有難うございました。
小車水銀鉱山は「東洋一」と称されていましたが、未だに謎が多い鉱山で資料も少ないのが現状です。
小車の昔の話に花が咲いたとのことで、私も公開して良かったと思っています。

Re: 「夏路」はアイヌ語じゃなかったんだ!

みならいかのん&ゆたかさま

コメント有難うございました。
おっしゃる通り「サックルペシペ」を意訳した名前が「夏路」ですが、地元の人たちは
「サックル」と呼んでいました。それこそ、夏路に「咲来農事組合」もあったくらいです。

大新、蕨野、桜野、大関(上八雲)はいいところです。個人的には大関が一番好きですが…。
機会がありましたら、是非いらしてみてください。

Re: Re: 美深町小車

祖母とその姉は子供の頃に、貴エントリーにございます“美深町楠”から若干南側にいたことがあるようです。

成瀬様は様々にご存知のところかと存じますので誠に僭越ではありますが、“旧恩根内小”画像に添えられていらっしゃるご案内文での笠原さんは当時からの地主さんでいらっしゃるそうですね。
付近には当時芝居小屋(祖母曰く「節穴芝居小屋」外壁の節穴から中の様子を少しだけ覗けたそうで)なんかもあったそうで、今からは想像できない(田舎ながらにも)華やかな風景だったのでしょうね。

祖母の姉や(既に亡くなっている)その旦那さんから、何かの折に幾度か水銀湖の話を聞いたことがあり、それらをふと思い出したのを契機に、こちらのブログを存じ上げることになりました。
冬は深刻な凍傷にかかる方々など、随分と厳しい環境であったようですね。
終戦とほぼ同時に閉鉱となっているようですが、大叔母の話によると、“(狭義には)そもそもの日本人ではない労働者”もいらしていたみたいです。
本人も実際に駅で100名ばかりの外国人を見たということではありますが、(おそらくは当時の大人からの伝聞による認識であろう話は割愛するに致しましても)そういった事情で終戦時期に様々な人間模様が繰り広げられていたようでもあるようです。

美深町小車

といにさま

お返事有難うございました。
仰る通り、笠原さんは笠原農場を経営されていた方です。
恩根内はかつて、飲食店街や旅館もあり相当賑やかであったと聞いています。
小車の水銀鉱山は、約10年前に美深町郷土研究会がまとめています。
(直リンク 名寄新聞2004年4月16日 http://www.nayoro-np.com/news/2004-04-16.html
その当時はまだ、鉱山勤務経験者が存命でしたが、もう存命者はいません。
外国人、というのは半島や大陸(朝鮮人・中国人)から来た方でしょうか。労働環境はかなり厳しく、お亡くなりになられた方も
いました。
小車水銀鉱山も調べていますが、資料が乏しいのが現状です。

No title

お忙しいところいつもありがとうございます。
> 外国人、というのは半島や大陸(朝鮮人・中国人)から来た方でしょうか。
そのようです。

そうですか、こういう資料があるのですね!
貴重なリファレンスをありがとうございました。
来月趣いてみる予定なので閲覧してみようかと思います。

そういえば、15日、札幌護国神社へ参りました。
同じく昼過ぎでしたが、旭川同様、人影少なくとても静かな様子でした。
私は学区を超えて北海道護国神社のお隣の高校へ通い、下宿先も金星橋を渡ったところで、来月は花咲界隈にも立ち寄ってみようと思っております。

就職活動などお忙しくいらっしゃるかと存じますが、残暑厳しき折りどうぞご自愛下さい。

Re: No title

といにさま

お返事有難うございました。
小車水銀鉱山については「美深ふるさと散歩」「続美深ふるさと散歩」「美深町史」に幾らか掲載されていたと思います。
御車小学校関係の資料は北海道教育委員会が刊行していた「教育月報」のバックナンバーに掲載されていましたが、生憎
詳しい号数までは失念しました。コピーはとったはずなので、調べたら分かります。

旭川界隈も結構変わりました。
駅前のイオンをはじめ、花咲界隈も道路拡張等で護国神社横にあった商店も更地となり、神社に隣接していた飲食街の面影は殆どありません。

此方こそ、色々と有難うございました。時節柄ご自愛ください。
プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。
名寄市、札幌市、東京都、旭川市を経て現在、札幌に居住。
廃墟・炭鉱や鉱山跡、廃村や限界集落を訪ね歩くのが趣味です。

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