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小平町富岡

小平町富岡(平成30年4月1日探訪)

小平町富岡は農村集落である。

明治31年 石川団体30余戸が大椴原野に入植したが次男・三男の分家のため新天地を求めて明治33・34年に小椴子沢(富岡)と苫前町三毛別(苫前町三渓)に入植したのが始まりである。
明治36年 地域住民の協力により校舎が建てられ開校した。

鈴木トミヱ著『小平百話-記憶の中の物語』の巻末に昭和20年前後の富岡地区の住宅地図が掲載されているが、地図を見ると沿岸部に14戸、国鉄羽幌線を挟んだ山間部に24戸(うち2戸は王子造林株式会社職員)の名前がある。

閉校・過疎の経緯については、下記に掲載した閉校時の報道にあるように、国道232号線の工事のため海岸部に住んでいた6戸の移転(昭和48年)、昭和49年から51年にかけ各1戸の移転がきっかけである。

学校の沿革は以下の通りである。

明治36年 特別簡易教育所開設(9月)
明治41年 小椴子教育所と改称(4月)
明治44年 校舎移転(10月)
大正 6年 小椴子尋常小学校と改称(4月)
昭和11年 富岡尋常小学校と改称(4月)
昭和16年 富岡国民学校と改称(4月)
昭和22年 富岡小学校と改称(4月)
昭和53年 閉校(3月)

閉校時の記事を掲載する。

さようなら富岡小学校 離農、過疎の悲哀25日、学び舎に別れ告げる
「雪深い山あいに〝教育の灯〟をともしつづけて75年、その灯がまたひとつ消えた-。長い歴史を持つ小平町立富岡小学校(矢野勲校長)は、相次ぐ離農と過疎の波に見舞われ、遂に廃校のやむなきにいたり、25日同校教室で、地域住民、歴代校長、そして教育関係者ら約50人が出席して廃校式を行い、思い出多い学び舎に別れを告げた。
富岡小学校は、明治36年6月、特別簡易教育所として児童数12人で開校それ以来、明治44年に部落住民の奉仕により現在地(富岡146番地)に校舎を移転改築、その後校舎増築と校名の改称が進み昭和40年以降2学級編成と単級を繰り返し、数年前から版画やカレンダー作り、また労作教育としてメロンやスイカを作るなど辺地校ならでわの授業を展開、管内小中学校環境整備優良校、花いっぱいコンクール学校の部優良校、全道へき地複式教育研究大会会場校として選ばれ、これまでに248人の卒業生を送り出してきた。
富岡は、小平町海岸線のほぼ中間に位置し、海岸沿いを走る国道232号線の入口から町道を約5キロ余り入った奥地で、昭和48年に始まった国道工事のために過疎化が進み、海岸沿いに住んでいた全戸(6戸)が移転し、49年・50年、そして51年とそれぞれ1戸が移転して、現在では11戸を残すだけになり、10戸が水田耕作を営んでいるが、土地が狭いために作付面積が少なく、今では、半数の農家がアイボリーメロン作りをして暮らしている。また、一時は34人の児童が在籍していた同校も、今では河端秀美君(3年)、隆彦君(4年)、政信君(6年)兄弟と村田恵さん(6年)の4人になり、6年生の2人は4月から中学校に進むが、残された河端君兄弟は鬼鹿小学校(沢田寿一校長)に通学することになった。
廃校式には地域の住民、父母たち、そしてかつての校長らが出席する中で、五十嵐小平町長、秋山留萌教育局長らがあいさつを述べ、矢野校長が「富岡小学校の灯は消えても部落の灯は消えることなく、先人の歩んだ開拓精神を想いだし過疎の波に打ち勝ってください」と富岡の住民に別れを告げ、そのあと、生徒を代表して河端政信君が、「いたんだ校舎、たとえ学校の灯が消えたにしても僕たちの心に母校の灯は消えないでしょう、さようなら富岡小学校」と思い出をかみしめるように別れの言葉を読みあげ数々の思い出が刻みこまれた富岡小学校、父と母も学んだ富岡小学校、忘れることの出来ない花壇づくりや版画づくり、そして最後に全員で校歌を合唱して、長かった75年の校史にピリオドを打った。」(留萌日日新聞昭和53年3月28日)

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羽幌町立太陽小学校の体育館倒壊を確認後、富岡へ足を運んだ。
正面玄関は既に無くなっているが向かって右側が教室、左側が教員住宅である。

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学校の隣には神社もある。

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神社境内より校舎の背後を望む。
夏は笹で生い茂るので、この時期ならではの風景である。

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学校より2キロ先より学校方面を望む。
家屋はあるが定住者はいない。

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海岸沿いに住んでいた6戸の屋敷跡は分からなくなっていた。
ただ、コンクリートの橋脚だけが残っていた。

KIMG6.jpg
羽幌方面を望む。
富岡乗降場(昭和31年5月開業)の名残も無くなっていた。

参考文献

小平町史編集室1976『小平町史』小平町役場
小平町史編さん室2001『小平町史 続』小平町役場
鈴木トミヱ2000『小平百話-記憶の中の物語』小平町開基120年記念事業実行委員会
留萌日日新聞1978「さようなら富岡小学校 離農、過疎の悲哀25日、学び舎に別れ告げる」『留萌日日新聞』昭和53年3月28日
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成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。
名寄市、札幌市、東京都、旭川市を経て現在、札幌に居住。
廃墟・炭鉱や鉱山跡、廃村や限界集落を訪ね歩くのが趣味です。

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