猿払村上猿払

猿払村上猿払(平成29年9月16日探訪)
猿払村上猿払は農村集落であった。

明治42年北海道拓殖計画地として指定され、同年石井忠司が浜猿払―上猿払間の川運送を始めた。
大正2年に上猿払開拓者が入植し始め、大正8年上猿払駅逓所が設置された。
昭和21年11月に戦後開拓入植者が8戸入り、昭和28年6月に上猿払神社大鳥居が建立された。
学校は大正8年猿払尋常小学校付属特別教授場として開校、昭和22年上猿払小学校となり、昭和47年11月に閉校となった。

学校の沿革をまとめると以下の通りである。

小学校
大正8年  猿払尋常小学校付属特別教授場として開校
昭和16年 浅茅野国民学校上猿払分校と変更(4月)
昭和20年 上猿払国民学校と変更
昭和22年 上猿払小学校と変更(4月)
昭和47年 閉校(11月)

中学校
昭和22年 上猿払中学校として開校
昭和43年 閉校

閉校時の記事を掲載する

53年の歴史閉ず 上猿払小が廃校
「猿払村立上猿払小学校は15日で開校以来53年の歴史を閉じ廃校となった。
同校は大正8年猿払小学校付属特別教授場として開設され昭和22年上猿払小学校となったが、大正2年頃から開拓者が入り一時は50名の児童、生徒がいたが、その後過疎化現象で離農が相次ぎ、本年の在校生はわずか3名。この父兄2戸も同村浜猿払に転住したため、15日で正式に廃校となった。
なお同校々長日下久夫氏は16日付で東利尻町鰊泊小学校長に発令された。」(日刊宗谷昭和47年11月17日)

KIMG2143.jpg
廃校関係でお世話になっている友人と一緒に宗谷地方の廃校廃村を巡る旅で訪れた。
上猿払はへき地5級。校門と記念の木碑が現存している。

探訪時は草木が生い茂っていたので、ポイントを絞ることにした。
そのポイントは ①学校 ②神社 ③寺院 である。

次に、学校から程近いところにあった神社跡を調べた。

KIMG2144.jpg
恐らく神社の参道と思われる道だが、既に植林されており「ご神木」も見つけることができなかった。

そして、③寺院跡である。
『猿払村史』によれば「真宗大谷派上猿払教会」の往時の写真が掲載されている。
地形図には寺院の近くにも家屋マークが記されている。
KIMG2152.jpg
私の背丈と同等か、それ以上に草が生い茂っていた。
「ちょっと行ってきます」と言って調べてみた。

結果、寺院跡の周辺は草木が生い茂り分からなかった。
学校の閉校(集落の無人化)から40年以上経ち、人々の営みを残すものは学校の校門のみであった。

参考文献
日刊宗谷1972「53年の歴史閉ず 上猿払小が廃校」日刊宗谷昭和47年11月17日
猿払村役場1976『猿払村史』猿払村史編纂発行委員会
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

「電信柱」参考になりました、このワザ使ってみてぇ!

昔の1/50000の地図ってばすんげぇおもしろくって、昭和40年代測量(だべか?)の地図にも、
けっこう「文」マークがあったりしたのっす。今、手元にないすからうろ覚えなんすが、
「1/50000 【上猿払】」ん中には、上猿払小中学校のほかに、上茂宇津内小学校・豊神小中学校
(上豊神はなかったような…中問寒は【問寒別】かもす)が狭い範囲にあったのす。
25年以上前に上猿払さ行った時には、校門の周りにこんなに草生えてなかったす。
けっこう土が見えてたりなんかして、校門から先、山のようになってるとこまで行けたのす。
・・・お寺さんはあったかなぁ…とまあ、いいかげんすゆたか

昔のことなので、ほんといい加減ですが、くだらないことで覚えているのが、
ここや霧立、阿歴内3など校舎のない跡地に、パイプ机・椅子が1~2脚あったりするんです。
(阿歴内3は当時ガラスの入った窓枠なんかもあって、机椅子の存在もな~んとなくわかるんですが)
長い年月が経って朽ちているようで「備品シール」も確認できなくて、
1970年代に一人掛けのスチールパイプ骨格の合板のものがあったのかな…って思いだすんです。
・・・その頃は重い木製の2人掛けだったんでないかって勝手に思ってますはじめっち
(うちらは、「誰かが持ってきたんでないの?」説です)

2匹とも「浅茅野」から「上猿払」には入ったことはないそうですが、
この道路は今でも冬季閉鎖で、途中が湿地で大水が出るとしばしば通行止めになったとか聞きました。
村役場に行くよりも、「日曹」とかのほうが便利だったのかもしれません。
・・・その道も大変だったとかみならいかのん

あたいはむずかしいことはよくわかんないいけども、
「川での荷物運搬」ってば言うだども、そんな大きな川があるようには見えないのだ。
そのうえ、アシがジャマして舟さちゃんとあやつれるのかいな?なのだ。
・・・なして隣集落とコンタクト取りにくそうな上猿払だったのかも不思議なのだつるみん

Re: 「電信柱」参考になりました、このワザ使ってみてぇ!

ゆたか&はじめっち&みならいかのん&つるみんさま

コメント有難うございました。旧版地形図にはたくさんの「文」マークがあります。
言葉を変えれば、それだけ多くの学校が日本国内にありました。亜歴内第3小学校の辺りは今も人家がありますが、霧立は離村しました。
浅茅野から上猿払は、水没国道として有名です。正式には「道道732号上猿払浅茅野線」ですがこの時はそこまで考えていませんでした。
川も今でこそ良くなりましたが明治末期は未開の原生林なので、入植当初は川の水量ももっとあったと思います。
プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。
名寄市、札幌市、東京都、旭川市を経て現在、札幌に居住。
廃墟・炭鉱や鉱山跡、廃村や限界集落を訪ね歩くのが趣味です。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR