黒松内町上大成

黒松内町上大成(平成30年2月9日探訪)

黒松内町上大成は戦後開拓集落である。
昭和22年9月に和歌山県人の入植、昭和24年に樺太からの引揚者が入植した。
学校の沿革は以下の通りである。

小学校
昭和25年 大成小学校上大成分校設立(1月)
昭和32年 上大成小学校と改称(11月)
昭和51年 閉校(3月)

閉校時の記事を転載する。

寂しいな最後の授業いよいよ閉校、上大成小
「【黒松内】新入児童がいないことから、この30日で廃校になる町立上大成小で23日、最後の授業が行われた。同校は校長先生ほか、教科担当の先生が1人、児童1人の超ミニ校。この日は、いつもと変わらぬ授業だったが、先生も自動もさすがに寂しそうだった。
 同校は、町の東方約20キロの山間部にあり、渡島管内の境界まで約1キロ、胆振管内の境界までは約4キロと、後志管内を含めて3つの行政区画の接点に位置している。
 昭和25年に上大成の分校として開校、32年に現在の校舎が建設され、独立した。母校の歴史は古く、同校の沿革史によると明治34年(1901年)という。
 独立したころは30人も児童がいたが、地区の主産業だった林業、農業が衰退、年ごとに住民の流出が目立ち、45年の児童10人が翌年には5人と1ケタになり、47年からは3人となった。うち2人も昨年秋に他へ転校、現在は4年生の矢吹幸治君1人だけ。先生も教科担当の岡崎久憲教諭と川嶋忠雄校長の2人。戸数わずか12戸でこれから先、新入児童の望みもないようで、町教育委員会も今年1月、3月いっぱいで廃校の結論を出した。
 最後の授業はいつもの通り、1時間目に算数、2時間目は社会、3時間目理科と、勉強したが、さすがに岡崎教諭、矢吹君とも声がしめりがち。
 休み時間には、川嶋校長も加わり、3人で一緒に記念のアルバム作りもしたが、写真を手に、楽しそうに思い出を語り合う3人の表情には、心の通い合ったほのぼのとしたぬくもりがあった。同校は24日に修了式を行い、矢吹君に修了証書を手渡した。
 廃校式は30日午前11時から、同校で行われるが、矢吹君は新学期からお父さんの仕事の都合で、渡島管内長万部町の静狩小へ転校するという。」(『北海道新聞』後志版昭和51年3月25日)

小学校の火 また消えて
「児童数がたった1人、校下の過疎化に抗しきれず、黒松内町でも3月いっぱいで小学校が1つ消えていく。この学校は、4年生の矢吹幸治君ただ1人に川嶋忠雄校長と岡崎久憲教諭の2人の先生がいる上大成小学校。同町と長万部、豊浦町が境界を接する位置にあり、国道37号線に近い。戦後の開拓者の入植から25年に大成小学校の分校として開校、32年には30人の児童を擁し校舎を建設して独立校となった。
ところが、ここ数年、急激な離農が相次ぎ、同校の児童数もそれに伴って減少しついに1人となったもの。入学児童も見込めず、町教委は1月に廃校を決めた。川嶋校長は喜茂別・栄小に、岡崎教諭も同・第二喜茂別小に転勤が決まったが、同校では30日午前11時から閉校式が行われる。(黒松内)」(『北海タイムス』小樽後志 昭和51年3月29日)

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お世話になっているHEYANEKO氏らと後志管内の廃校廃村を巡る旅、一番最初の集落は上大成である。

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現在は数戸が住む高度過疎集落である。

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校舎は傷みながらも現存している。

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奥行きのある建物なので一目見て学校と分かった。

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現在は個人が使用している。

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校舎の背後に教員(或いは校長)住宅が残っていた。
※画像提供 HEYANEKO氏より

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ちょっと中を覗いてみたが、瓦解した風景が広がるだけであった。

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学校の隣には神社がある。

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境内には石碑らしき石が建立されていたが、分からなかった。

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帰りがけ、ふと見るとサイロの跡が残っていた。

参考文献
黒松内町1987『黒松内町史上巻』黒松内町
黒松内町1993『黒松内町史下巻』黒松内町
北海道新聞1976「寂しいな最後の授業いよいよ閉校、上大成小」北海道新聞後志版昭和51年3月25日
北海タイムス1976「小学校の火 また消えて」北海タイムス小樽後志版昭和51年3月29日
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上大成、いったことはありますが、見ただけで… ここまで取材されるとは!

あるブログさんで、「上大成小学校」のリポートを拝見したことがありました。
(別の方の記事で上大成小学校職員さんが赴任された栄の学校も、知来別の学校も
今はもう閉校してしまったと記憶しています。)
それにしても、今と違い、閉校の決断が2か月前というのには、ちょっと驚きでした。
もともと分校だったそうなので、他校でなく大成小学校に統合するのは当然の成り行きでしょうが、
けっこうギリギリまで話を詰めてきたのかなぁ…なんて思いました。
(想像ですが)おそらく、PTA正会員さんが転勤?または転職?によって、
上大成を去ることが決まってからの閉校決定だったのかと・・・
PTA準会員(校区内に住まれる地域住民の方々)さんたちは、がんばって、
出来れば、この地に学校を残したかったんだろうなぁって勝手に考えてしまいます。
・・・いろいろあるけど学校存在の意義って大きい?はじめっち

うちらの知人がこんなこと言ってたのっす。
「校歌もない、校旗もない、閉校記念碑も作らない、そういうところは学校に執着しなかったんだよ。」
と。でも、自分らはそのようには思えないのんす。
存続の運動っていう民衆の歴史ってば、そこに立ち会った方々がいなくなってしまったら、
どんなに形あるものを残しても伝わっていかないものだろうっす。
そういった活動・運動に携わった人々の歴史ってば、おそらく「口伝」が多いんでないかと察するっす。
地域の努力した過程は、他人に伝えるものではないんだなんて考えているかもしれないっす。
でも、そういうのって、今の日本人にはものすご~く必要ではないのかと最近思ったりもすてるす。
そういう活動の在り方・ノウハウなども、経済活動に勤しみ過ぎて日々働くことに疲れ果てて、
政治・社会に参画する意欲を削がれつつあるみんなに知ってもらうことは大切なんかと。

あいもかわらず、成瀬様の細かな取材と調査にいつも感服するのでありんす!
資料の提示の仕方など、いろいろな方向に考えることができるのっす。ほめすぎっすか?
・・・話がどんどん迷走してしまったのすゆたかなんのこっちゃ?

Re: 上大成、いったことはありますが、見ただけで… ここまで取材されるとは!

はじめっち&ゆたかさま

コメントありがとうございます。
閉校関係の経緯は新聞記事に載っていますが、単に「過疎」と申し上げても背景は複雑です。
私が訪ね歩いた学校で「校歌・校旗・記念碑」の無い学校は分校でしたら1校あります。もしかしたらもう少しあるかもしれませんが…。
元々は「廃墟探検」から始まりましたが生来の郷土史(歴史)好きが高まり、今に至ります。
これからもレポートを公開していきますので、末永くお付き合いいただけたら幸いです。

No title

小学校教諭であった私の父親は黒松内町熱郛の出身で、初任校が大成小中学校だったそうです。
廃校後に私も何度か大成の部落を訪れた事がありますが、過疎の酪農地帯に似付かわしくない立派な校舎が残っていたのが印象的でした。

Re: No title

梨野舞納さま

上大成のコメント有難うございます。お父様は大成の学校に勤務されていたのですね。
ブログには挙げませんでしたが、大成の校舎は健在です。
プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。
名寄市、札幌市、東京都、旭川市を経て現在、札幌に居住。
廃墟・炭鉱や鉱山跡、廃村や限界集落を訪ね歩くのが趣味です。

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