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士別市伊文

士別市伊文(平成30年5月20日探訪)

士別市伊文は農村集落であった。

明治41年岐阜県より7戸(鈴木国松団長)、石原定衛門を団長とする4戸の計11戸の入植が最初である。上記にもあるように農山村集落であるが、入植より以前の明治34,5年頃には砂金採取が行われていた。砂金は明治45年に伊文5線川にて、また昭和17年から20年にかけて北進鉱業有限会社がそれぞれ採取した記録が残っている。
明治42年、イヌンウシュベツ5線中村清吉宅の一室を改造し、本間清八(岐阜県人)を迎え入れて寺子屋形式の授業が行われ始めた。

戦後、畑地かんがいを含めた農業用水の確保や土地基盤整備を行った排水管理の合理化、機械作業体系の拡充を目的とした温根別ダムが建設されることから、昭和49年に集落は解散した。

学校の沿革は以下の通りである。

小学校
明治43年 イヌンウシュベツ6線東3番地に移転新築(3月)
明治44年 犬牛別簡易教育所と改称(11月)
大正 6年 犬牛別尋常小学校と改称(4月)
        伊文尋常小学校と改称(5月)
昭和16年 伊文国民学校と改称(4月)
昭和22年 伊文小学校と改称(4月)
昭和26年 犬牛別8線西3番地に校舎移転新築(10月)
昭和49年 閉校(10月)


中学校
昭和22年 温根別中学校伊文分校として開校(5月)
昭和29年 伊文中学校と改称(7月)
昭和49年 閉校(10月)

P1130210.jpg
平成30年5月、HEYANEKO氏らと訪れた。
学校は、この道の先にあった。

P1130211.jpg
しかし、すぐそこで道が水没していた。
学校跡地は到達できなかったので、A.D.1600氏とHEYANEKO氏が先行してダムを見に行った。

P1130212.jpg
ラオウ氏と私は遅れて行く。

P1130222.jpg
クルマの車窓から「何か」見えた。
ラオウ氏に「何か、見えましたよ」と言い、クルマから降りて見る。

P1130215.jpg
見ると、記念碑が建立されていた。
手前は「感謝悠久」、奥は「望郷懐旧」の碑である。

P1130216.jpg
望郷懐旧の碑。

P1130217.jpg
裏面

以下、碑文

温根別ダム建設のため明治四十一年入植以来六十六年間の伊文の歴史を閉じるに至った
ここに開拓当時の入植者を偲びさらに歴代在住者が子子孫孫に至るまで故郷を愛し懐旧の念のあることを願ってこの碑を建立する

昭和四十九年十月二日 伊文地区解散 閉校期成会

開拓当時の入植者
馬渕松五郎 浅野目又吉 中村清吉
石原秋五郎 細川●四郎 石原金八
佐伯亀三郎 鈴木喜太郎 鈴木喜平
竹村喜太郎 足立清次郎 鈴村国松
松井源兵衛 浅野目勇吉 松井信助
後藤周次郎 松野栄之助 野村嘉吉
石原定右エ門 以上一九名

解散当時在住者
石原 保  石原 博  井上 茂
後藤喜一郎 大島文太郎 樫原武志
加納利平  後藤義雄  後藤久雄
鈴木純一  鈴村市郎  立井義房
山田弥伝次 中村喜代典 髙橋一盛
成沢 肇  新山倉吉  野村岩雄
芳賀正男  堀内マサ子 馬渕豊一
和田力夫  宮本 勇  清水行応
沢田幸雄  水島 繁  二瓶 清
小野和利  竹野修一  岡本佐市
門馬春男        以上三一名

●はけもの偏に「士」「口」「付」と書かれていた

P1130218.jpg
次に、「感謝悠久」の碑の裏面。
以下、碑文。

国営温根別ダム建設に伴う地元負担金充当の基金として水没等補償を受けた次の各位から多大の負担を与せられたのでこのダム建設が緒につくに至ったものである
ここに深く感謝の意を表し永遠にその威徳を偲ぶため着工にあたりこれを建立する
昭和五十一年九月九日 温根別土地改良区 理事長 後藤善重

岡本佐市殿  山田孝雄殿  加納利平殿
似内正義殿  山田弥伝次殿 加納利秋殿
中村清吉殿  馬渕豊一殿  野村岩雄殿
中村喜代典殿 馬渕幸蔵殿  立井義房殿
鈴木純一殿  門馬春男殿  後藤喜一郎殿
石原継一殿  後藤義雄殿  後藤嘉明殿
石原  保殿 後藤久雄殿  新山倉吉殿
和田  誠殿 髙橋一盛殿  成沢  肇殿
和田力夫殿  髙橋忠正殿  伊文草地利用組合殿
石原  博殿 鈴村市郎殿  伊文生産組合殿
石原秋五郎殿 大島文太郎殿 士別市殿
樫原武志殿  堀内政子殿

※この時は碑があるのを確認してからHEYANEKO氏と合流後、改めて碑文を撮影した。

2つの碑が建立されているところは、かつての神社跡である。
神社は明治45年、伊文集落のほぼ中央に祠を建てて大国主命を祀り「大国神社」と呼ばれていた。
伊文ダム建設工事が着工され、水没することから昭和49年9月20日に温根別神社に合祀された。

P1130219.jpg
HEYANEKO氏と合流後、温根別ダムを見つつ碑について話した。

P1130214.jpg
水没した伊文集落に今なお残るコンクリートの建物。
この建物は、伊文生産組合が昭和39年頃に建てられた飼料倉庫である。

参考文献

士別市1969『士別市史』士別市
士別市史編纂室1989『新士別市史』士別市
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プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。
名寄市、札幌市、東京都、旭川市を経て現在、札幌に居住。
廃墟・炭鉱や鉱山跡、廃村や限界集落を訪ね歩くのが趣味です。

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