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滝上町滝奥

滝上町滝奥(平成31年2月11日・令和元年5月25日探訪)

滝上町滝奥は農村集落である。
滝奥は滝上原野の最奥地に位置するため開拓は最も遅かった。

大正2年 福島県人先崎善蔵、草野伝吉の入植後、大正3年宮城県人斉藤善五郎、松崎新五郎、福島県人宗像亀蔵、翌4年福島県人宗像広吉、花沢政吉、戸田一馬、奈良県人和泉徳松等の入地があり、大正7年には戸数45戸であった。
開拓当初は道や橋もなく交通は極端に不便であったが、大正7年28線起工の滝上殖民道路は翌8年に45線まで完成し、交通の便が漸く良くなり各地からの移住者が増えた。
移住者が増えるにともない、学齢児童も増加して和泉徳松、先崎善蔵、草野伝吉、斉藤善五郎らが集って村当局に学校開設を陳情した。
その結果、大正7年白鳥尋常小学校所属滝奥特別教授場として開校した。
学校開校後は奥地の開拓が進み、山下庄八、片岡音五郎、山下司郎、小田市松、和田藤市、大山銀次郎、立石守一、宮地渉、飯島緑次郎、森谷照男、松本良太、永井米五郎、小笠原源太郎、西出与三松、神成仁吉、熊谷彦治、戸沢藤蔵、長沢春吉(以上55線付近入地者)らが移住し、大正9年滝南特別教授場が開校した。昭和17年、55線地域の離農とともに滝南特別教授場も自然閉校となった。
大正7年拓殖医診療所の設置、大正12年奥滝上官設駅逓所の開設、大正13年45線から59線間、昭和7年59線から上川町に至る道路が完成し、交通の要衝として栄えた。また、昭和8年頃からバレイショを栽培し、澱粉工場が9ヶ所操業していた。
昭和29年の15号台風により滝奥周辺の山林整理処分、伐採、造林が進められ住民らは農業から転向し、製材所も建ち戸数80戸を数えたが風倒木処理事業の進行につれた地域の転出や工場の閉鎖で過疎化が進んだ。
学校の沿革は以下の通りである。

小学校
大正 7年 白鳥尋常小学校所属滝奥特別教授場として開校(5月)
大正 9年 校舎類焼。花沢政太郎の小屋を借りて授業再開(11月)
大正10年 滝西尋常小学校所属滝奥特別教授場と改称(4月)
大正11年 校舎・職員住宅新築落成(11月)
昭和 2年 滝奥尋常小学校と改称(5月)
昭和16年 滝奥国民学校と改称(4月)
昭和22年 滝奥小学校と改称(4月)
昭和29年 新校舎・体育館落成(12月)
昭和48年 滝西小学校滝奥分校と改称(4月)
昭和49年 閉校(2月)

中学校
昭和23年 滝奥中学校開校(4月)
昭和47年 滝上中学校滝奥分校と改称(4月)
昭和48年 閉校(3月)

滝南特別教授場
大正 9年  開校(8月)
昭和17年 閉校(自然閉校)

集落の出来事は以下の通りである。

大正 7年 拓殖医診療所の設置
大正12年 奥滝上官設駅逓所の開設
昭和22年 農村電化事業により電灯灯火
昭和25年 滝奥39線までバス3往復運行
昭和43年 テレビ共同視聴施設
昭和45年 農事有線電話の開通

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平成31年2月、HEYANEKO氏らと立ち寄った。
営業を終えてから久しい商店が残る。

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半壊した駅逓所。後に診療所や教員住宅に転用された。

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校門は滝南特別教授場にあったのを移設させた。

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校長住宅はしっかりと残っている。

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学校跡地には記念碑が建立されている。

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学校の近くには馬頭観世音がある。

同年5月に再訪した。
探訪時、ここの卒業生(2名・50代)と偶然お会いした。

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卒業生は同窓会があるので母校に立ち寄ってみた、と仰っていた。
偶然の出会いに私たちも驚いた。

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学校の思い出として「遠足で拓雄小学校へ行ったことがある」とのことである。

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ほか「神社には土俵があって相撲をとったことがある」と仰っていた。
この階段は神社へ続く。

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笹薮に埋もれつつも、馬頭観世音は存在感が大きい。
馬頭観世音は昭和3年に建立された。

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神社の風景。
今は笹薮に覆われているが、かつてはここに土俵があった。

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校庭も笹で覆われていた。


参考文献
滝上町史編さん委員会1976『新撰滝上町史』滝上町
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非公開コメント

No title

「拓雄小学校へ遠足に行った」って卒業生の言葉…
もちろんバスでなくて、東の山道を歩いた…ということですよね。
まだ造林・製材関係も(斜陽ながら)がんばっていた時代の貴重な証言ですね。
・・・しかも、たぶん、それも日帰り?はじめっち

駅逓跡がのこってるのも、住宅・診療所って転用されたからかもしれないっす。
無人の校長住宅も何年間か使われていたようなのす。
・・・大事に使われてたっすねゆたか

Re: No title

はじめっち&ゆたかさま

コメント有難うございました。拓雄の遠足ですが、日帰りと思います。
国道沿いにあるので最初、バスの車窓から半壊した駅逓の建物を見たときは驚きました。そして調べたら滝奥であることが分かりました。

No title

実は親が拓雄小学校出身で滝奥小学校に遠足に行ったことがある
と聞いたことがあるのですがまさか双方で行き会っていたとは
ちなみにトップの山田商店は20世紀末位までは営業してて
滝奥地区も何人か住んでた記憶が

Re: No title

お返事有難うございました。貴重な情報有難うございます。
山田商店もつい最近まで営業していたことに驚きました。
滝奥は今、1世帯ですが20世紀末くらいには何軒か家が在ったのでしょうか。
プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。
名寄市、札幌市、東京都、旭川市を経て現在、札幌に居住。
廃墟・炭鉱や鉱山跡、廃村や限界集落を訪ね歩くのが趣味です。

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