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浦河町女名春別・上杵臼

浦河町女名春別・上杵臼(平成23年10月23日探訪)

女名春別(メナシュンベツ)は上杵臼(カミキネウス)地区のなかにある。
この上杵臼自体も、戦後開拓の地域である。

国有地1600町歩プラス道有林200町歩が開拓地として指定され、昭和25年10月より開拓がスタートした。
入植者で最も多かったのが樺太出身者である。外地ではこの他千島・満洲出身者が数名いた。
国内では地元出身者・日高管内出身者が多く、道南・他府県出身者が数名いた。

上杵臼小中学校
昭和26年2月5日、厩舎を仮校舎として設置される。
同年4月1日 浦河町立上杵臼小学校として独立。
昭和27年7月26日 木造平屋建ての新築校舎が落成する。
昭和31年3月30日 教室、廊下、昇降口、屋内体操場、自転車小屋を増築及び新築した。

しかし、現実は傾斜地・湿地帯と砂利畑を含む土地であった。
さらに大木の切り株が残っており、昭和32年に「開拓不振地区」に指定されてしまった。
これが切っ掛けとなり翌年より「開拓不振」の汚名返上が始まった。
まずは切り株の抜根作業から始まり、それから馬耕。
また、この頃より酪農化の導入や豚といった家畜、ハッカやアマの栽培により「開拓不振」の汚名は数年で返上された。

昭和50年3月31日 浦河町立浦河東部小学校に統廃合された。
学舎は既に無くなってしまったが、周辺は酪農家や畑が広がる集落となっている。

237.jpg
上杵臼の神社。探訪時は大雨に見舞われた。

238.jpg
神社全景。
上杵臼小学校跡は、ここではない。
昭和51年頃の航空写真を見ると、校舎の手前に林があるがその奥に校舎があったようだ。

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上杵臼小学校前。この奥に校舎があった。

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道を進むと、樹木に埋もれかけたバックネットがあった。その先には…

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上杵臼小学校の基礎が見えた。
春先に行けば基礎の全景が分かるが、何とか確認できる。

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正面玄関。階段も落ち葉が積もり、辛うじて分かる。

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駐輪場の跡と思われる。辛うじて面影が残っていたが、それも自然に還ろうとしていた。

上杵臼小学校を後にして目名春別へと行く。

正式な名称は「上杵臼女名春別団地」と称されていた。
上杵臼の奥、標高平均300メートルの道有林に囲まれた盆地が女名春別である。
ここの開拓も上杵臼と同時期に開拓がスタートした。
昭和29年に18戸を数えたが土地条件が悪いことと、過剰入植で昭和34年より離農や上杵臼へ引越しする人びとが増えた。
現在は牧草地が広がっているが、人家がない集落となっている。

昭和27年9月1日 上杵臼小学校女名春別分校を設置。
昭和29年3月   校舎増築。
昭和30年4月1日 浦河町立第三中学校女名春別分校が発足。
ところが、昭和32年5月28日 校舎全焼。給食の炊事準備の過熱による出火であるらしいが、真相は不明である。
同年10月 校舎新築。
昭和33年9月 職員住宅1戸建築。
昭和34年4月1日 浦河町立女名春別小学校、女名春別中学校として認可された。
昭和40年時点の学級編成であるが 小学校1学級 中学校1学級である。

昭和41年3月31日 上杵臼小学校へ統合された。

265.jpg
陽春橋。この橋を渡って進む。

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早速、廃墟と化した倉庫があった。
この辺りから、女名春別地域に入る。

263.jpg
もう少し進むと、廃サイロがあった。

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学校跡はこの先にある。

258.jpg
学校周辺の風景。
奥の建物がもとの「教員住宅」である。

253.jpg
学校跡地。
近くに酪農家の倉庫があるので人気がないとはいえないが、人家がない。
教員住宅は閉校後、楽古山登山用の山荘として長らく使われていた。
その山荘も近年、移転してしまい役目を終えてしまったが、建物はもしかしたら酪農家の方が使っているのかもしれない。
いずれにしても、女名春別は無住の地である。
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メナシュンベツ

どうもです(^_^)

目名春別は、女名春別ではないかと思うのですが・・・

目名春別という書き方もあるのでしょうか?



メナシュンベツ

HEYANEKOさま
すいません。仰るとおりです。今まで気づきませんでした。
後で訂正します…。

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No title

こんばんわ
何となく子供の頃に上杵臼に行った事を思い出したどり着きました。
わたしが行った頃は、まだ学校が存在してました。
今から30年以上前ですが・・

母の実家が上杵臼にあり帰省?的な感じでいったんだと思います。
子供の頃の記憶で曖昧ですが、坂道を登った所に学校がありました。
校舎に入ると黒板に”ありがとう”と書いてあった気がします。

成瀬さんの写真を見て凄く懐かしくて(舗装のさてれいない道等)
少々コメントしちゃいました。

No title

くじらさま

コメントありがとうございました。
30年前は、丁度私が生まれたころですがその頃は校舎があったのですね。

黒板に書かれた「ありがとう」の文字、私も見てみたかったですね。
校舎は既に在りませんが、基礎や自転車置き場、バックネット、そして、校舎へと続く未舗装の道は今も健在です。

すばらしい

 詳細な調査に感銘します。
 ありがとうございます。

Re: すばらしい

Nakyamaさま

コメント有難うございました。
元々、歴史が好きでしたが郷土研究団体に入会したことで調査・研究に火がつきました。
今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。

No title

始めまして。検索していてこのサイトにたどり着きました。私の母の父(おじいちゃん)が上杵臼のこの学校で校長をしていたらしく、母が懐かしいから見たいということで去年行ったのですが、どこなのかよくわからず断念してしまいました。お手数でなければ行き方を教えていただけないでしょうか?

Re: No title

Takeさま

おはようございます。コメント有難うございました。また、返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
お尋ねの件ですが、恐れ入りますがメールにてお願い致します。宜しくお願い致します。
プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。
名寄市、札幌市、東京都、旭川市を経て現在、札幌に居住。
廃墟・炭鉱や鉱山跡、廃村や限界集落を訪ね歩くのが趣味です。

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