紋別市鴻輝

紋別市鴻輝(コウキ)(平成23年8月13日探訪)

鴻輝の開拓は明治39年頃に富永熊太郎、豊村品蔵、前田栄太郎らが共同で牧場経営を始めたのが切っ掛けであった。
大正に入ってから開拓者が入地し、大正末期に鴻之舞に通じる自動車道路が開通したところからこの名前がつけられるようになる。
この頃、児童たちは8キロ以上も離れた上渚滑小学校へ通学していた。
戦後、隣の上東(ジョウトウ)に戦後開拓の入地が増え、鴻輝も入地者が増えた。
独立校設置運動や部落民 千葉繁、本間英雄からの校地寄付により昭和30年12月14日 新築校舎で開校した。
当時、戸数24戸 児童数26名であった。

昭和33年に風力発電を設置したが、昭和35年の30人を境に減少、昭和45年度に在校生が皆無となり廃校となった。

卒業生総数49名。
「部落民は多大の労力奉仕と経済的負担に耐えて努力した」学舎は15年という短い歴史だった。

現在、鴻輝という地名は無くなり「上東」地域となっている。
夏季間のみ牧場が1軒やっているだけである。

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学校跡。
マル印をつけたところに閉校記念碑がある。
本当の跡地はここより中に入ったところのようだ。

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記念碑の表面と裏面。
急な斜面を登ってみる。
探訪当時「こんなところに学校があったのだろうか?」と首をかしげた。

183.jpg
記念碑裏手の風景。
この裏手に学校があったと思われる。

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斜面を降り、上東方面を眺める。

大体の位置は分かったが、再訪する必要がある。
神社も、この近くにあったが探訪当時は気づかず、未訪問となった。
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鴻輝

ご無沙汰しております。しばらく入院しておりましたが先月復帰しました。
旭川の駅逓情報ありがとうございました。

ついでと云っては失礼かもしれませんが、紋別に行く機会があればと思い書き込みました。
弘道小学校跡ですが今年行った時は旧弘道小学校の木造校舎が残っていました。
小向駅逓と取扱人だった竹内文吉翁を調べていて判ったのですが
竹内文吉の弘道精神という教えから地名を弘道と呼ぶようになったとか
また弘道小学校の前身となる弘道教授所を設置したのも竹内文吉翁と
小学校に隣接して道路際に竹内文吉翁の碑が有りました。

鴻輝と言う地名は無いようですが川の名前で残っていますね。

RE:鴻輝

hiroさま

こちらこそご無沙汰しています。
退院、おめでとうございます。良くなってホッとしています。

紋別の弘道小学校の地名の由来、興味深いものがあります。
弘道精神から来ていたのですね。弘道小学校は傷みながらも校舎は健在です。
鴻輝は、川の名前が辛うじて残っていますが、学校跡地は分らなくなっています。
プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。
名寄市、札幌市、東京都、旭川市を経て現在、札幌に居住。
廃墟・炭鉱や鉱山跡、廃村や限界集落を訪ね歩くのが趣味です。

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