夕張市真谷地

夕張市真谷地(平成25年5月4日探訪)

夕張市真谷地は、炭鉱で栄えた集落であった。

真谷地市街バス停がある三区と真谷地六区は今も居住者がいるが、それ以外(真谷地一区・二区・四区・五区)はすべて自然に還ってしまっている。

元々の炭鉱開発は明治23年10月 藤村紫朗・増田潤両名の試掘権が決定したところから始まった。

その後数名の名義人の変更を経て、明治28年頃に頭山満・金子元三郎の両名になり「クリキ炭山」(クルキ炭山)と呼ばれていた。

明治38年 北海道炭鉱鉄道会社(後の北海道炭鉱汽船・北炭)が買収して「真谷地炭鉱」と改称された。

学校は明治40年1月6日 夕張郡沼の沢教育所所属真谷地特別教授場として開校した。
開校当初は真谷地一区の鉱員住宅に、児童92名を収容した。

明治43年5月26日 特別教授場より真谷地尋常小学校と改称し、独立校となったが、校舎は仮校舎であった。

大正4年3月20日 現在地に校舎が新築され、仮校舎より移転した。

大正14年4月1日 夕張郡真谷地尋常高等小学校と改称、高等科が併置された。

昭和15年4月1日 教室不足により1・2・3・4学年については「二部授業」を実施した。それだけ多くの児童が在籍していたことである。

昭和16年4月1日 夕張郡立真谷地国民学校と改称。
同年6月7日 分教場新築移転により、二部授業が解除された。

この「分教場」は大正8年4月1日 三区の鉱員住宅1戸を借りて二学級編成したところから始まった。後の「真谷地西小学校」である。

昭和19年4月1日 夕張市真谷地国民学校と改称。

昭和23年4月1日 夕張市真谷地小学校と改称し、中学校を併置した。
中学校は昭和27年1月1日まで置かれていたが、沼の沢中学校と統合し「夕張市立向陽中学校」として開校した。
その向陽中学校は昭和62年 登川中学校が統合し「夕張市立緑陽中学校」となるが緑陽中学校は平成22年3月31日 閉校する。

昭和35年9月25日 開校50周年記念式典が挙行され、校歌制定、校旗・中庭が整備された。

昭和45年11月29日 開校60周年記念式典が挙行された。

しかし、その5年後 昭和50年3月23日 閉校式が挙行された。

このことについて、真谷地で生まれ育った木村繁夫氏はこう話す。

「…当時一区は既に殆んど人もなく二区、三区の人たちの大半は山を下りていった。人も少なくなり、将来の見通しも立たないことから閉校を決めた。校舎は閉校後、そう日も経たないうちに解体された…。」


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真谷地小学校の手前に、統合先である真谷地西小学校がある。

真谷地西小学校は昭和60年3月31日 沼の沢小学校と統合され、新生である「夕張市立緑小学校」が沼の沢小学校跡地に誕生する。
しかし、その緑小学校も平成23年3月31日付で閉校となった。

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大きな学校跡地。
ここは昭和28年から昭和42年にかけて、定時制の真谷地高等学校(設置当時は市立夕張南高等学校真谷地分校)が併置されていた。

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校門の裏面には、当時の児童の作品が残されていた。

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校庭の片隅に、真谷地西小学校の記念碑が建立されている。

ここは道路沿いにあるので、比較的探訪しやすい学校跡地である。
目的の真谷地小学校は真谷地西小学校、真谷地市街地、真谷地炭鉱総合繰込所(跡)の先にある。

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北炭真谷地炭鉱専用軌道より。
この先に炭鉱の中枢部であった「総合繰込所」があったが、平成19年から翌 20年にかけて解体された。

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ここに繰込所があったが綺麗に無くなっている。

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平成17年8月19日 手前の資材倉庫(繰込所が完成するまで事務所として活用)を探訪した。
もう、見ることの出来ない建物である。

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そして、総合繰込所である。

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内部は備品が放置されていた。

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閉山後は、地元の業者が倉庫として転用していた。

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炭鉱の浴槽も既に無い。

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総合繰込所を後にして、学校跡へ進む。

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途中、対岸の集落風景を眺める。
真谷地四区と思われる。

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ふと見ると、橋梁のような基礎を見つけた。

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「往時は橋(人道橋?)が架かっていて渡れたのでしょうね」などと話しながら見渡した。

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この道をまっすぐ進むと、早くに無人化した一区、さらに奥にあった上の沢集落へと続く。
目的の真谷地小学校は右の、下りの道へ進む。

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「この先に学校があったのだろうか」と思いながら下る。

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普段は申し訳程度の水が流れている沢も、雪解け水で増水していた。
探訪仲間であるウィンデー氏がストックを持ってきてくれたので、ストックで足元を突きながら渡る。

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川を渡った先の風景。
学校跡はこの先である。

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通学路は廃道となっている。
「もう少しですよ」の言葉を信じ、前へ進む。

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学校の記念碑は、隣接していた神社の境内にある。
これはその神社へと続く参道である。

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そして、記念碑が姿を現した。
夏場なら、ササで隠れて見えないだろう。
背後の、太い木の幹のところに拝殿があった。

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記念碑の台座の土を取り除く。
土に隠れていたせいか、かえって綺麗な状態を保っていた。

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神社の隣接地に学校があった。
しかし現在は植林されており、尚且つ自然に還ってしまっているので、夏場の探訪は非常に難しい。
かつての学舎は、もう自然に還ってしまっていた。

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No title

偶然ですが、ちょうど現在、夕張旅行記の冊子用編集作業をしているところです(^_^;)
真谷地小学校跡の碑、台座が埋まっていたのですね。

四区方面、真谷地通学橋は行かれましたか。

RE:No title

HEYANEKOさま

コメント有難うございました。
真谷地四区の真谷地通学橋ですが、探訪当時は時間の都合により探訪しないまま終わりました。
機会があれば見てみたいものです。

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No title

懐かしい写真をありがとう御座います。真谷地小学校を卒業した者です。高校三年生まで、夕張市内に住んでいました。父の勤務先が北炭だったので、現在廃坑になっている、桂鉱、真谷地鉱、平和鉱に勤務してたのです。夕張と言う町は、面白い町で一番最初に出来た小学校は、廃校になっている登川小学校で、夕張第二小学校が登川小学校の歴史を持っていき、改めて登川小学校の歴史を開始しました。真谷地西小学校は、最初、夕張西高校として作られた学校です。ですから、一時期は、夕張に、東西南北すべての高校と工業高校 あった時代があります。南高校は、もともと女学校の歴史を持っていっています。
夕張を取り上げ 下さり、ありがとう御座います。6583

Re: No title

赤プーさま

コメント有難うございました。また、夕張の学校変遷も興味深く拝見致しました。
実は数ヵ月前、真谷地小学校卒業生とお会いして真谷地小学校周辺の地域や学校との関わりについて伺いました。夏は隣接する神社で相撲大会が開催されたこと、冬は学校裏の山でスキーで滑ったこと、真谷地西小学校とサッカーの試合をしたこと等、もしかしたらお心当たりあるかと思います。
真谷地の話は、機会をみて取り上げたいと思います。どうぞ、宜しくお願い致します。
プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。
名寄市、札幌市、東京都、旭川市を経て現在、札幌に居住。
廃墟・炭鉱や鉱山跡、廃村や限界集落を訪ね歩くのが趣味です。

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