雨竜町国領

雨竜町国領(平成25年10月20日探訪)

雨竜町国領は尾白利加川の最上流部に位置していた集落であった。

明治43年8月7日以降、群馬県南東部一帯が集中豪雨により大きな被害を受けた。

田畑や家屋を失った農民の中から北海道移住の話が持ち上がり、群馬県佐波郡豊受村(現 伊勢崎市)大字国領村 高柳準三・金井元次郎ら30余戸が開拓民として、明治44年3月より入植したことに始まった。

地名の由来は、団体の出身である大字国領村より名づけられた。

学校設置は金谷喜一郎、宇田川ハナ等が特別教授場の開設を要望し、大正3年4月 雨竜村立川上簡易教育所国領分教場として開校した。

分教場主任として、井向 安が着任した。当時の在籍児童は29名であった。

その後、森林資源の枯渇や農耕地の疲弊により、転出者が相次いだ。
当然、児童数も減少し昭和20年3月31日付で廃校となった。

しかし、昭和22年7月1日 川上小学校国領分教場として再び開校した。

昭和28年11月 国領小学校として独立した。

一方、中学生徒は川上中学校へ通学していたが、約16キロ離れており生徒の休学は黙認されていた。

国領小学校の校舎改築に併せ、義務教育下の生徒を放任するのは教育本旨に沿わないとして昭和28年11月16日 川上中学校国領分校として発足した。

昭和29年5月1日 国領中学校として開校し、小中併置校となった。


国領の生活は非常に厳しいものがあった。

明治44年に開拓が始まったが、当時は「どこからどうして手を入れたら良いか、ただ呆然と手をこまねた」とのことであった。

クマの糞だらけの密林を馬もなく、骨肉を削るような重労働で開墾に従事し、入植してから3年くらいは作物が出来ず、収穫皆無の状態が続いていた。

補助金も底をつき、郷里に帰る者や下山する者が後を絶たず最終的に定住したのは14戸であり、入植者当時の人で最後まで定住していたのは金井治平のみであった。

また、本レポート作成に当たり、雨竜町教育委員会に問い合わせしたところ、次のような回答をいただいた。

「…国領は豪雪地帯であるためイネの幼苗は育たない。麓で栽培し、ある程度成長したら国領まで運んで移植した。また、減反政策により水田は植林されたり、畑作に転換されたが、今は笹薮と化しているので面影を見つけ出すのは難しい…。」

昭和32年 開校以来第1回目の修学旅行実施。

昭和34年10月 風力自家発電施設完成。(但し、昭和36年破損により撤去)

昭和38年12月 ジーゼル発電施設完成。テレビ視聴始まる。

昭和41年10月 公衆電話事務開始。

昭和42年12月 電気工事完成により送電開始。 

昭和43年 雪上車配置。

へき地対策は浸透し、暑寒別岳連峰が道立自然公園に指定されていったが、町内の集落と比較して生活全般をはじめ、教育・文化・医療面からみても明らかに不便であった。

また、森林資源の枯渇や減反政策も重なり過疎化が進んでいった。

昭和45年 国領地区集落移転事業が計画されたが住民感情の対立、集落移転対象が20戸以上という理由で対象外となった。

だが、国領集落の気運も変化し特に婦人層が昼夜問わず役場や公宅に来て要望を続けた。

昭和47年10月 空知支庁長の深い理解により財政的に見通しがつき、急遽具体化した。住民の移転先は、札沼線廃止に伴う官舎であった。

移転は11月13日に始まり、11月18日付で校具教材が搬出され、閉校となった。

国領移住の歌
雨竜町国領小中学校閉校記念誌より転載の「国領移住の歌」
作詞作曲した井向 安は昭和20年の閉校まで勤務した。勤続年数は30年であった。
閉校後、井向は幌加内村立長留内校に転任した。

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北美沢小学校跡地からさらに進むと、大きな橋が見えてきた。

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橋の名前は「国領橋」
雨竜町国領集落への入口である。

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橋を渡った右手に、人家跡と思われるマツの木がある。
開拓当時の人家を見ると、開拓団長の高柳準三宅跡と思われる。

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道沿いを進むと、小さい記念碑が姿を現した。

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「国領小中学校跡地」の記念碑である。
暑寒別岳連峰や雨竜沼湿原の手前に、学校はあった。

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学校跡地より暑寒別岳連峰・雨竜沼湿原方面を望む。
卒業生総数 小学校157名 中学校55名。
国領集落の集団移転とともに、学校も廃校となった。
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No title

更新お疲れ様でした。魅力的な廃村です♡旧高柳邸跡が廃村ホルモンを行うに適した場所ですな♪

No title

ラオウさま

コメント有難うございます。国領の集落は、主に高台平地に人家が固まっていました。
ここは雨竜町・新十津川町の境目なのでダートと舗装の道路が交互に存在する場所です。
今年もどうぞ宜しくお願いします。廃村ホルモン、いつかやりましょう。
プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。
名寄市、札幌市、東京都、旭川市を経て現在、札幌に居住。
廃墟・炭鉱や鉱山跡、廃村や限界集落を訪ね歩くのが趣味です。

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