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和寒町東陵

和寒町東陵(平成20年5月31日探訪)

東陵小学校跡

東陵小学校体育館


和寒町東和の奥に位置しています。
東陵は戦後、戦争引揚者により入植された「戦後開拓」集落でした。
開拓当初、子供たちは約4キロ離れた東和小学校まで通学していましたが不便であることから昭和27年4月1日、東陵小学校 開校となります。
東陵地域はその後、洋菜カリフラワー栽培で全道一位になりましたが、離農者が相次ぎ昭和46年閉校となりました。
閉校後、校舎は地域の集会所として活用されていたみたいですが、いつごろまで使われたかは分かりませんでした。

校舎跡は体育館の基礎と学校跡の標柱があるだけですが、周囲は通い作の畑が広がっています。
東陵小学校周辺

定住者はいませんが、しっかりと維持管理されているように思えました。


【追記】
平成23年8月、東陵出身の方とお会いし、色々と話を伺いました。

ご自身は昭和30年代前半に生まれ、小さい頃の遊びとして夏は田んぼにある「溜池」で泳いだり川で貝やザリガニつりをしたこと、冬は山に登ってスキーで遊んでました。
この頃、東陵はバレイショの栽培が多かったのですが、その他にも稲作、酪農、にじます養殖(上坊寺さんという方が経営)もありました。
仕事のない冬は山に行って木の切り出しを行い、馬で運んでいました。

バレイショの栽培に伴い、でんぷん工場も操業していました。特に南田、中振、上高さんのでんぷん工場が大きかったそうです。昭和20年代の開拓当初は、個人操業のでんぷん工場がたくさんありました。

酒や日用品は東和の店(上高商店、佐藤商店)で足りていましたが、生鮮食料品は士別から来る行商(ナス商店)で買っていました。

東陵に神社があったときは勝ち抜き戦の相撲大会が行われており、景品欲しさに頑張ったりしました。
大人は馬をつかい、学校奥にある山の中腹で「ばんば」をして賭け事で楽しんだそうです。

学校は複式学級の2クラスで、隣に校長住宅が併設されていました。学校の近くに教員住宅(1棟は教頭住宅)がありました。教頭住宅は閉校後、地域の町内会館として活用されていました。
娯楽も限られていたので、役場の職員や農協職員がバンドを組んで、体育館で子供たちにバンド演奏をしていました。演奏された曲は、当時の流行歌です。

時間割

手元に東陵小学校の時間割があります。
東陵出身の方から譲ってもらいました。一部加工しています。

東陵神社跡 - コピー
東陵神社跡。
神社の痕跡もありませんでした。
家屋も廃屋となって久しい印象を受けました。

一人では調べるのに限界があります。
今回、調査・協力いただいた方は自衛隊勤務時代、お世話になった後輩の父親です。
この場を借りて御礼申し上げます。
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謹賀新年

昨年はお世話になりました。今年もよろしくお願いします。

この記事にあるにじます養殖場は僕もかすかに覚えています。
年までは記憶にないのですが、台風で養殖場が決壊し東和貯水池に
(桜岡ダム)にニジマスが入ってそれを釣りに行くのが一時ブームになっていました。

今年は主に空知の駅逓跡を歩く予定でいます。

RE:謹賀新年

hiroさま

此方こそ、今年も宜しくお願いします。
養殖場の記憶があるのですね。仰るとおり、台風で養殖場が決壊したため廃業したらしいです。
空知の駅逓、資料があればお送りします。以前、空知の某郷土研究団体に身を置いていたため何かしらあるかと思います。
プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。
名寄市、札幌市、東京都、旭川市を経て現在、札幌に居住。
廃墟・炭鉱や鉱山跡、廃村や限界集落を訪ね歩くのが趣味です。

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