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沼田町真布

沼田町真布(平成24年4月25日探訪)

沼田町真布は「白採真布」と呼ばれ、真布川沿いに拓けた集落である。

真布の山林は元々、園田北海道庁長官の所有地であった。

明治33年 真布の山林を北海道炭礦汽船(北炭)が買収したといわれているが「北炭山林史」によれば明治33、4年にシルトルマップ(真布)所在山林の貸付権譲受許可された記録がある。

このことから、北炭が買収したというのではなく、貸付権を譲り受けたものと思われる。

同年 石黒甚次郎が苗圃管理人として真布に入地する。

当時、山側には既に北炭の社宅や住宅が建っていた。

石黒は北炭雇員となり、苗圃管理をはじめ造材・造林の監督も行なっていた。

北炭の苗圃が広くなり、石黒甚次郎は家族を呼び住まわせたが、あくまで北炭の「山林経営」で入地したに過ぎなかった。

一方、北炭も林内農耕地の選定を行い「半農半林」の形態で入植させる方針を採っていた。

明治39年 沢田常次郎が最初に入地すると翌 明治40年以降に藤沢(現 沼田第5)集落からの転入をはじめ、続々と入地する者が現れ始めた。

藤沢集落は明治29年 開墾会社から藤沢栄次郎が120町歩の土地を譲り受けたことに因む。

しかし、藤沢は泥炭地で作物は思うようにとれず、開墾も進捗していなかったこともあり、真布へ移住した人も相当数いた。

明治42年10月1日 入植者である岩隈利平の尽力により、寺子屋式の私立教育所が始まった。

明治43年4月4日 公立沼田尋常小学校附設白採真布特別教授所となった。

大正3年10月15日 北炭社宅の分譲を受け、改造して現在置に移転した。

大正9年7月24日 真布尋常小学校として独立。

昭和16年4月1日 真布国民学校と改称。

昭和22年4月1日 真布小学校と改称。

真布は戸数が少ない集落であるが、沼田町内でもめざましい活躍を見せていた。

婦人会を主体とした実践運動はもとよりだが、昭和37年頃より集落全員が編纂委員となり、集まった資料や談話は当時の真布小学校校長 伊藤慶二によって分類整理され「真布部落史」を昭和41年 出版した。

そんな真布も、昭和42年頃より学校の統廃合の話が浮上した。

これは真布小学校のみならず、沼田町内の各学校が統合されるというものであった。

昭和43年11月20日 浅野炭鉱の閉山。
翌 昭和44年4月30日 昭和炭鉱の閉山に伴い、人口が著しく町外に流出した。

これが決定打となり、沼田町内での学校統廃合が進んだ。

昭和47年3月31日 閉校。
沼田町立奔竜小学校・開成小学校も同日付で閉校となった。

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「秘境駅」で有名な真布駅。
昭和31年7月1日 真布仮乗降場として開設された。
近くを流れる真布川沿いから、真布集落へ行くことが出来る。

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川沿いを進むと、高台に建物が見えた。
これが真布小学校の体育館である。
体育館は昭和27年11月に新築落成された。

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隙間から覗くと農機具倉庫として転用されているが、奥には学校当時の装飾が残されている。

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探訪当時は残雪がかなり積もっていたが、閉校記念碑の類は建立されていない。

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学校校庭より真布集落を望む。
過疎化と、炭鉱閉山による人口流出で廃校となってしまった。
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プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。
名寄市、札幌市、東京都、旭川市を経て現在、札幌に居住。
廃墟・炭鉱や鉱山跡、廃村や限界集落を訪ね歩くのが趣味です。

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