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雨竜町国領(再訪)

雨竜町国領(平成26年6月8日再訪)

雨竜町国領は既に平成25年10月20日探訪し、レポートした。
日本の過疎地 雨竜町国領
今回、「学舎の風景」合同調査の一環として再訪したことをレポートする。

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国領小中学校跡地の記念碑。
この先に雨竜沼湿原や暑寒別岳連峰が聳えている。
空知管内でも「陸の孤島」と呼ばれていた場所である。

そんな「陸の孤島」と呼ばれるような地域ですらも、昭和40年代の「列島改造論」による「土地投機」(原野商法)が行われ、国領地区も土地投機の場所となってしまった。
ただ、投機の舞台となった場所は雨竜市街地側(尾白利加ダム側)であるので、国領地区全域ではない。

校舎の跡地はこの記念碑より手前にある。

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記念碑より手前の地点。
この林内に校舎があった。

林内は平地が広がっているが一部、笹薮と化している。

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その笹薮のなかにコンクリートの基礎らしき「モノ」があった。

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傍にはビール瓶と建物の基礎の一部が見つかった。
突き出した、煙突らしきモノについての用途は分からなかった。

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周辺には何か「建っていた」基礎や平地が確認できる。

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併せて、便槽も見つかった。
校舎の基礎の一部と思われる。

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校舎跡地近くで見つけた給食の食器。
国領に人々が暮らしていた名残である。

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学校より奥の風景。
この先に雨竜沼湿原ゲートパークがあり、管理棟、キャンプ場、南暑寒荘(山小屋)がある。

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「雨竜町百年史」(平成2年11月30日発行)に掲載されている国領地区の集団移転写真。
正面のマツの木の背後にある、平屋の建物が国領小中学校校舎である。

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集団移転写真とほぼ、同じ場所より。
学校も、人家もすべて自然に帰ってしまっていた。

最後に、校門も平成初期頃までは存在していたが、いつの間にか無くなってしまった。
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No title

ファンです。
また再開していただいてとても嬉しいです。

No title

匿名さま

コメントありがとうございます。此方も、コメントをいただき励みになります。
何箇所かの新規訪問や再訪もありますので、今後また少しずつ公開していきたいと思っています。

貴重なご報告です

すばらしい、貴重なご報告です。ありがとうございました。

Re: 貴重なご報告です

林さま

有難うございます。国領は空知管内でも一番のへき地でした。
それでも、集落移転まで人々が暮らしていました。

貴重なレポート素晴らしいです。

素晴らしいレポートありがとうございます。私も国領に興味をもち、大正生まれの元住人を見つけお話うががいました。
本当に過酷な生活だったみたいですね。
国領開拓の歌は小学校ではみんなが歌っていたらしく、その方は今でも歌えるっていって歌ってくれました。

Re: 貴重なレポート素晴らしいです。

よしーだーさま

コメント有難うございました。
私は文献でしか知らないため、大正生まれの国領出身者の話は貴重なひと時と思います。
私もお会いしてお伺いしたいのが本音です。
国領開拓の歌、一度聴いてみたいものです。

国領地区

2019年8月にNHKで放送された 小さな旅の
「ヤマの歌 夏 竜の湿原 とこしえに」
と言う番組で国領地区のことが少し出てきました
元住民の五十嵐秀寿さん61歳(雨竜町在住)へのインタビューと当時の写真が
放送されました
南暑寒岳から故郷の国領地区を眺めたいと登山されている途中に
スタッフと出合ったという事でしたが
なんか位置関係が変なのです、国領地区は湿原の入り口のはずですから


Re: 国領地区

パックさま

コメント有難うございました。
NHKの番組は観ていないので何とも云えませんが、
国領は湿原の入口というより手前と思います。
プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。札幌市在住。
元陸上自衛官。
北海道の地方史や文芸を中心としたサークル『北海道郷土史研究会』主宰。

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